中高年の憂うつ 「ダメだと分かっているのに…」

 遅刻しそうになった時に

仕事に行く時間。誰かとの待ち合わせ。

理由は様々でも「約束の時間」が迫っていたら、誰しも「急いぐ」でしょう。

外出するなら靴を履きますが、流石にそこは省けません。

服を着ないのも無理でしょう。

できることは駅まで急足になるとか、中にはいつもより顔を簡単に洗って終わりにするかもしれません。

意外と「急ぐ」となった時に、どこまでが大切で、どこからは譲れるのかという基準も、人によって異なります。

「ダメ」だと分かっているのに

正直なところ、こみち家の家計に「余裕」はありません。

幸いなことに今は「米」もありますし、冷蔵庫にも食べ物が入っています。

しかし、このブログでも触れているように、父親はテレビを見て過ごす状態ですし、母親も脊髄の圧迫から腰を痛めて急に老けた気がします。

さらに言えば、こみち自身も介護福祉士にはなりましたが製造業に関わっているなど、妻の頑張りで一家が保てている状況です。

数ヶ月前に、生活が苦しいという話と、将来的な展望を見据えた時に、今の生活のままでは継続できないことを家族で話し合いました。

こみちが毎朝起きてご飯を作るのではなく、本当なら少しでも長い時間働くようにしなければいけません。

一方で、例えば父親の生活にも改善が必要です。

一日中テレビを観て、3度の飯を食べて、時折自分の食器を洗うだけでは、「在宅介護」そのものです。

しかしながら、父親に朝食を作ることは望めません。

どこで見極めるのかになりますが、つい最近も家の水道管が壊れて父親が修理を始めた。

しばらくしてこみちが呼ばれて、行ってみると現場はもう大変な状況になっていました。

「できない」という判断の前に、「できた」という希望を優先してしまったのです。

詳しく書くのは控えますが、もしも家に父親しか居なかったら、もう取り返しがつかない事態だったでしょう。

それだけこみちも必死で対応しましたし、だからこそ「水道管屋に依頼しよう」と話していたのです。

動いて欲しいとは思うものの、動くと何か周りが助かるとはなりません。

こみちが朝食を作るのもやむを得ない状況です。

「このままではダメだ」と思いながら、でも抜け出せない状況です。

このブログを偶然に訪れた方には、「こみちが悪い!」と思う人もいるでしょう。

でも、いろんなことが重なって、「動けない状況」に陥っているのです。

焦りもありつつ、動けないという諦めもあって、これが5年後、10年後になると、さらに今の父親たちのように「日々を生きる」しかできなくなってしまうのでしょう。