中高年の闇 「生きる意味」を探す中で

 中高年になって考える「生きる意味」とは?

皆さんは、今の生活に満足しているだろうか。

こみちはというと「満足」している。

でも、未来に対する「期待」は少ない。

健康的に生活できる時間が段々と予測できるようになって、でも親の介護とか自身の生活に目を向けると、もう未来に何か思うことなどなくなった。

例えば、こみちよりも老いた両親の場合、もっと毎日が単純化されている。

しかもその生活は、周りに負担を掛けながらの日々だ。

もしも、強く現実から抜け出したいと思ったなら、実は取るべき方法や心構えがあって、少なくともそこに近づこうとしなければ、「突発的」なことでも起こらない限り今を変えることはできない。

70代の隣人が亡くなったという。

1週間くらい前に挨拶したけれど、人の人生などどこでどう終わるのかはわからない。

90代まで生きられる人もいるが、70代になると段々と「お迎え」が巡ってくる。

この先、10年、20年と過ごしていれば、あっという間にそんな年齢を迎えるのだろう。

だからこそ、毎日をしっかりと生きるべきだ。

でも、同居して親の介護をして、変えられない、変わろうとしてくれない二人と暮らせば、段々と未来を悲観的に見てしまう。

両親が原因というよりも、「変わらない」と分かる生き方を続けてしまうことに失望がある。

少し愚痴。

父親は本当に何もしてくれない。

するのは、全て自分のためばかりだ。

でも、こみちが作った朝食を当たり前のように食べている。

美味いとも不味いとも言わない。

黙っていることで、「食べたこと」を感謝とも義務とも取れるようにしている。

やはり、不信感はそうそうに拭えたりはしない。

他人なら、さっさと距離をとりたい相手だが、親だから仕方ない。

今、こみちには「力」がなくて、そんな両親のことまで一緒に助けてあげることはできない。

せいぜい、朝食を作ってあげるくらいだ。

「生きる意味」を考えると、最後は何もないと思ってしまう。

ただ「今がある」から、生きている。

今のような生活を5年も送ったら、もう本当に気力は尽きてしまうだろう。

そうなる前に、自分で抜け出せる方法を模索しなければいけない。

生きるって簡単なことではない。

悩んでいる人が多いのも分かる。

今日も気分は少し下がり気味だ。