こみちのイラスト
先ず、右のイラストを見て欲しい。
上手い下手ではなく、趣味と実益を兼ねて十代の頃から継続してやっとここまで描けるようになった。
こみちにとっての「イラスト」とは、芸術として考えている訳ではなくて、目で見た「メモ」に過ぎない。
つまり、寸分変わらない精密画ではなく、見た印象を資格的にどう残しておくかの「手段」として考えている。
その意味では、人物画の初歩的な目標は、性別とか年齢、全体の雰囲気などを「描き取る」ことにあった。
サラリーマン時代、仕事柄多くの人と出会っていたので、受け取った名刺の隅に簡単な「似顔絵」を描いておく。
それを見れば、どんな人だったのか簡単に思い出せるし、電話でやり取りする時など、話題の選び方や話し方など、話す際のイメージが掴みやすい。
イラストに描いたのは、「東京03」の豊本さんと飯塚さんだ。
似ているかどうかは別として、服装やメガネの有無、髪型など、「メモ」として分かるだろう。
特に、向かって左側に立つのが飯塚さんだが、上を向いて何か叫んでいるのが分かるだろう。
ここではその時のセリフには触れないが、見上げる角度や表情から、その人の性格まで掴める気がする。
例えば、彼の様子を言葉だけで残そうと思うと、それは簡単なことではない。
なぜなら、言葉には「縛り」があって、印象を「固定化」させてしまう特徴があるからだ。
『理由は定かではないが、何か不満でもあったのか、天を仰ぐように見上げ、顔をくちゃくちゃにしながら何か叫んでいた』
もしもそんな風に表現したとすると、「不満」という説明で用いた言葉によって「マイナス」の印象を与えてしまう。
「嬉しかった」のかもしれないが、見た人の心理状態によって、印象が180度変化してしまうのは、言葉の怖い部分でもある。
喜怒哀楽のどれにも当てはめられない微妙な状況を、言葉で伝えるのは難しい。
「イラスト」を使うことで、「雰囲気」だけを伝えることができる。
「時代錯誤」に気をつけよう!
そんな訳で、こみちは日常生活の中で「メモ」したいことがあると、よく「線画」で模写をする。
右のイラストは、妻から借りたピアスを描いたものだ。
照明によってピアスが光を反射し、多面体特有の輝きが印象的だ。
そしてこの様子を文字で伝えるとしたら、正に「光の反射でキラキラしたピアス」とでも表現するだろう。
しかし、周囲の暗さとスポットライトのような照明が、少し寂しさや物悲しさを伝えないだろうか。
言葉でわざわざ告げたりはしないが、見た時に感じる感じ方は、人によって印象がかなり異なる。
つまり、この曖昧さをメモするには、「言葉」ではなく「イラスト」の方が都合がいい。
しかし、時代錯誤にも気をつけなければいけない。
そもそも、手書きのイラストを描く状況があるなら、スマホで一枚写真を撮ればいいのだ。
それで十分に「メモ」することができる。
何も時間を掛けてまで「描く」必要性は乏しい。
というのも、こみちが十代の頃は携帯電話さえなかった。
もちろん、カメラを日常的に持ち歩く習慣もない。
見た景色を残すには、「描く」しかなかった。
実は今日、何気なく新作のゲームをYouTubeで検索していた。
あまりゲームはしないのだが、時々、急に気になることがある。
そして気づいたのは、「実写化」された精細な映像である。
つまり、ファミコン世代のこみちには、256色でゲームはできていた。
「フル画像」という1000万色の色数に特別感を感じていた。
しかし、最近のゲームで、実写と変わらない景色や人物が当たり前のように描かれている。
逆に、先に紹介したような「イラスト」を見せられても、「だから何?」と当たり前すぎる。
つまり、こみちのイラストが写真レベルになったとしても、今の若者には意図が伝わらない。
なぜなら、詳細に描かれることは当たり前になっているからだ。
こみちがこの先、「画力」の向上を意識している限り、それこそ先には進めない。
静止画のイラストは、アニメーション映像になって価値が出る。
つまり、「見た目」はもうスマホで簡単に撮れるから、動画の中で伝えられることをしないといけない。
これから求められているのは?
イラスト一枚描くのも、結構時間が掛かる。
短い映像にするにも、何十枚と描くのは気が遠くなる作業だ。
しかし、それを従来の方法で乗り越えるのではなく、現代のテクニックでどうこなしていけるかが問われている。
つまり、イラスト一枚を描く「画力」ではなく、映像化するテクニックが重視される。
手書きではできない「レイヤー」や、コピー機能などをどう活かせれば早く描くことができるのか。
そんな意識を持たないと、「今」という時代に取り残されてしまう。
動かない「イラスト」一枚を見せられて、そこから何を感じ、伝えられるだろうか。
それはもう「写メ」でいいのだ。
もう何十年も描き続けて来て、やっとここまで描けるようになった。
しかし、気づけばもう時代はそこにいない。
それに気づかないと、こみちは時代に取り残されたままだろう。

