中高年の闇 もう「Microsoft office」を使えることは労働者として必須なのか?

 ハローワークで感じたことから

こみちがパソコンで仕事をしていた20年以上昔、Microsoft社の「office 」を扱えることがステイタスとされていた時代です。

オラクルやnotesのようなよりプロフェッショナルなソフトを扱っていた面々からは、扱い易いソフトと評されていたかもしれません。

一方で、社会人としての基本スキルと考える人なら、「MOS」の取得を目標にしていたかもしれません。

昨日、ハローワークに出掛けた時に、「ワードやエクセルが使えても仕事が広がらない」と話されていた方がいたので、少しMicrosoft社の「office」がどのような認識なのか振り返ります。

スマホには慣れているけれど、いわゆるキーボードがあるパソコンを使うのは苦手だと言う人もいるでしょう。

こみち自身は10代の時に初めて触れて、20代、30代とほぼ毎日扱って来ました。

パソコンでの仕事が「デザイン」だったので、WindowsよりもMacの方が馴染みはあります。

それでも、家にはWindowsもMacもあって、作業によって使い分けれいたので、ヘビーユーザーの部類に入っていたかもしれません。

その意味では、こみちにとって「office」は独学で学ぶものという認識でした。

当時、ファイルサーバーの構築を担当していて、データを更新する際に、エクセルで作成したCSVファイルをよく扱っていました。

いわゆる文字打ちという仕事で、エクセルに所定のセルに数字や文字を打ち込んでもらうという作業を外注に頼んでいました。

1万件のデータとか、5万件のデータとか、本当に短期間で納品してもらっていて、助けられたことを覚えています。

セルに数値を打ち込む作業は、慣れてしまえば難しくはありません。

とは言え、プロの凄さはそのスピードとミスをしない正確さでしょう。

ある意味、こみち的には「できる」か「できない」ではなく、「間に合う」か「間に合わない」かがポイントだと思っています。

つまり、「ワードが使える」と言う意味は、手書きの下書きからデジタルデータにどれだけの時間で制作できるのかが重要です。

時にはそこで指定するフォント(文字の種類)なども重要で、何気なく使う「スペース」も「半角統一」とか「使用禁止」など、後処理との関係で様々な制約が設けられていたりします。

いかに安定したデータとして作れるのかまで問い始めると、「文字のサイズを変えられる」とか、「写真を挿入できる」ということばかりがofficeを使える内容ではないことが分かるでしょう。

「プロフェッショナル」の意味

時にアマチュアの人で、プロ顔負けのスキルや技術を発揮します。

もちろんそんな才能は賞賛されるべきですが、仕事という意味では「MAX」ではなく「平均値」の方が求められたりします。

つまり、「できたら凄い」ではなく、「確実にできるのはどこまでか?」が仕事現場では求められるからです。

その意味では「やってみないとわからない」のはアマチュアで、依頼される仕事を事前に納期まで見越して打ち合わせできる人がプロなのです。

実際、ある外注先に仕事を振った時に、その作業量がとても多くて間に合うのか依頼したものの心配だったケースがありました。

もちろん実績もありますし、これまでにも納期に遅れたこともない相手です。

「よく間に合いましたね!」

約束の日時に納品された時に尋ねたら、「他の数名の仲間を急遽集めました」と答えてくれました。

今でこそ、SNSを使えば、仕事の斡旋や依頼も簡単でしょう。

しかし当時はまだそこまで簡単ではありませんが、「依頼」を叶えるために「横の繋がり」を使うことがプロの仕事だったのです。

個人で仕事をしていた人が、仲間を募りさらに大きな仕事も依頼できるようになり、その内に法人化されて、仕事が格段にビジネスっぽくなって行く変貌も、あの頃は当たり前のように行われていました。

その意味では、officeを使えることそのものも大切さとは別に、仕事の流れやニーズを見越して組織化する能力など、異なるスキルが複合的に絡み合って仕事として成立しています。

時給1000円でワードを使った仕事が、安いのか高いのか。

ソフトを扱えば、時給1000円ずつ稼げると喜ぶ人もいれば、もっと大口の仕事を想定よりも短期間で納品できると売り込む人もいるでしょう。

1本10万円の仕事を請け負い、それを100時間ちょうどで納品すれば時給1000円と同じ。

だから、半分の50時間でどう仕上げられるのかと工夫すれば、時給2000円相当です。

一方で、依頼する側は、後ろ盾のない「個人」に大きな仕事を振ることは嫌がります。

ミスした時のバックアップが不十分だからです。

つまり、丸々受けるには「法人化」が必須で、そこまでの覚悟や手続きを経るからこそ、時給1000円の仕事とは異なる働き方ができるのでしょう。

ハローワークで聞こえて来た話では、「システムエンジニアやプログラマーの専門性があると、仕事の幅が広がるけれど、ワークやエクセルだけでは限界がある」と言っていました。

しかし、プログラムが組みても、システム構築の知識があっても、「信頼」がなければ一従業員として働く他の選択肢はありません。

自分で仕事を請けるなら、いわゆるプログラム言語の専門性ではなく、仕事を請けられる環境整備の一歩が踏み出せないと、相手から仕事を振ることはできません。

こみちの悪いところ

こみちはイラストを描きます。

写真などがあれば、似顔絵もある程度のレベルで描けると思います。

でも、そのレベルがどれだけ凄かったとしても、「請ける体制」を整えなければ、仕事にはできません。

資格取得でも同じことが言えて、稼げる環境を整備する意識が持てないと、どんな難関の資格を持っていても収入には反映されません。

「どう稼いでいくのか?」

この部分を忘れてしまうと、ハローワークで見た人のように「仕事が広がらない」と思ってしまうのです。

「広がらない」ではなく「広げて行くために」が、本当は一番大切ってことでしょう。

そのベースが、その人にとってはワードやエクセルで、こみちなら介護ということ。

分かっているんですけどね。