「大人」って何だろう?

「子ども」と何が違うのか?

例えば、成人式を迎えると「子ども」から「大人」になります。

最近では「選挙権」など「法律上の権限」に違いがあるとも言われます。

大昔、「参政権」は大人になると誰にでも与えられる「権利」ではありませんでした。

一定金額以上の「納税者」。

つまり、社会的に稼げている人が「社会を作る」という方針だったのでしょう。

そこから皆さんもご存じの通り、時代が変化して「大人」なら誰でも「選挙」に参加できることになったのです。

じゃ、「選挙権」を与えられて、選挙に行ったことがあっても、「この一票って意味があるの?」と考えたりしないでしょうか。

事実、選挙の後に公表される投票率をみれば、決して沢山の人が投票した結果とは言えません。

ここがポイントなのですが、「投票する」という行為が「大人になってできる」と考えるのは正しくありません。

大切なのは、「社会を作る側」になったと理解するべきだからです。

具体的には、今の「国」や「地域」、もっと身近な生活環境で、何を補い、何を省くべきかを、自身の生き方に照らして個々で考えることなのです。

例えば、何かのサービスを提供したいと思い立ち「会社を設立」する人にとって、法人税などの会社に関連する法律が今のままで良いのか考えるでしょう。

「もう少し安くして欲しい」とか、「現状でも良いけれど、この部分は柔軟にして欲しい」など、気になることが出てくるはずです。

一方で政界へと進む代議士は、そんな「大人たち」の気持ちをくみ取り、議会で議論することでしょう。

ある意味、どんな政策だとしても、今の大人がそれでいいなら批判されるものではありません。

しかし、一部の人や一部の立場にある人だけが優遇されるものだとしたら、社会の発展を考えれば改善されるべきものです。

子どもに「夜の9時には寝なさい」と親が言ったとします。

その時に「眠ない」とか「なぜ9時なのか?」と反論する子どももいるでしょう。

そして、大人が「明確な理由」を言えない時に子どもは「横暴だ」と感じるかもしれません。

こみちとしては、「対等」という前提なら、「理由」や「根拠」を明確に伝える必要があると思います。

しかし、親子のような「保護する側」と「保護される側」という関係の場合、「はっきりは理由を言えないけど、朝起きるのが大変でしょう」と説明してくれたなら、それで十分ではないかと思うのです。

もしも起きられると子ども側で主張したいなら、就寝時間を10時して、朝は自分で起きるように示せばいいだけです。

どんなに説明しても「9時」を曲げない親がいるかもしれません。

子どもにすれば「ハズレ」かもしれませんが、それこそ自分が大人になった時に繰り返さないことです。

ちょっと愚痴話

昨日、お世話になる人への手土産を買うために、街で人気の洋菓子屋に行きました。

人気店なので、平日でも割に混んでいました。

こみちも店内を見て、購入したい商品を決めてレジへと並びました。

「最後尾は向こうです!」

決して優しい口調でも、「申し訳ありません」という気持ちを感じられる口調でもなく、むしろ「横入りしないで」とでも言いたげな勢いで怒られました。

「最後尾?」

指先方向に目を向けると、男性客がショーケース越しに店員と話しています。

例えば店の方針で、どんな場合でも決められた「列」に並んで順番待ちすると決めているなら、先ほどの店員から指摘された「最後尾」の意図も理解できます。

一方で、すでに商品を持ちレジに並んだこみちと、まだ商品のやり取りをしている男性客が被っていないなら、「支払い」を済ませてもいいのではないかとも感じます。

結局、こみちは指示に従い最後尾と言われた男性客の後ろに立ち、まだまだ続くやり取りと商品を持ったまま待っていました。

「お決まりでしたらお預かりします。お会計はこちらで」

数分後に別の店員が商品を一旦受け取り、紙袋に入れてレジを済ませてくれました。

「最後尾に」と説明した店員もレジ付近にいて、後ろを向いたままこちらを向くこともありません。

「何が?」というと些細な話です。

でもここに「大人」と「子ども」の境界線があると思うのです。

つまり、接客業は店員と客が対等な立場ではありません。

人間としてという意味ではなく、業務上の立場としてです。

しかもお金を支払うから「客が上」ということではありません。

人気の洋菓子店の商品を買いに来た客は、自分や誰かにその商品を食べて喜んで欲しいと思って来店しています。

こみちなら「お客様、申し訳ございません。コロナ対策で順番待ちをお願いしています。ご不便ですが列の後ろにおまわりください」と説明するでしょう。

また、列そのものが無い状況なら、「お決まりでしたら商品をお預かり致します」と、精算業務に入ります。

たとえ「最後尾」と言ったとしても、列がないと気づいた時点で、次のことを判断します。

最後尾に並ばせて、そこで待たせて、別の店員が対応する。

この出来事を腹立たしく感じているのではなく、大人と子どもの境界線が「大人」でもなかったりするのです。

「お客様、後ろを通ります。申し訳ございません」

というだけでも印象は違うのに、段ボールを運搬するカードを無言で客側ギリギリを通過する店員なども結構目にします。

「こっちは仕事なんだ!」

ということなのかもしれませんが、こみちの感覚とはかなり差があります。

大人も子どもも関係なく、すべてが「対等」というシンプルな方針ならそれでもいいのですが、店内で火災が発生したら、店員は客に「避難口は後方にあります」と案内する義務があるでしょう。

自分たちだけさっさと逃げ出して、出口が分からない客が取り残された。

という話は、やはり両者の立場の違いから、違和感を生む行為でしょう。

アルバイトだから、パートだからという雇用関係で、接客レベルが低くてもしかたがないのかということです。

意外と、「大人」と呼ばれる年齢になっていても、どこかどう「大人」なのかと思わせる人もいます。

こみち自身も気づかない内に、他人に迷惑をかけているかもしれません。

子どもの頃よりも、そこはしっかりと大人として対応できるようになりたいものです。