これが「在宅介護」の実情だ!

 こみち家のお湯事情

インスタントコーヒーを飲む時など、熱い「お湯」がポットからすぐに注げたら便利です。

そもそもの話として、そんな用途を目的とするなら電気ポットがあります。

しかし、両親との同居が始まり、「電気ポットは電気代が掛かる」という思い込みが抜けないらしく、今ではやかんで沸かして保温用のポットに入れて使うことになりました。

こみちにすれば、お湯が沸くまでの10分や15分も「コスト」と認識していて、それが一日に数回あれば、どれだけ「制約」されているかと考えます。

何より、ガスを使って1リットルの湯を沸かす場合、そのガス代は2円から3円。

一日に3リットル程度を数回となると、単純に10円から30円掛かることになります。

一方で、電気ポットを使う場合、水を注げばあとは勝手に湯を沸かして保温してくれます。

一日使って30円程度なので、想像するよりも高い金額ではないでしょう。

また、少量の場合、ケトルを使うこともできます。

保温機能は無いかもしれんが、コーヒー2杯とか、カップ麺用に使うなど、やかんで沸かす時間と変わらないスピードで、安全に使えるのがメリットです。

沸くまでの時間、その場から離れられるのは大きいでしょう。

つまり、やかんで沸かして、ポットで保温する方法が、最も安価な方法だと言えます。

しかしそれは、日に何度もやかんで沸かし、その時に待っていられる生活をしていられるという人にはです。

こみちの場合

朝、5時に起きて家族4人分の朝食を作ります。

ポットにお湯が少なく、しかもいつ沸かしたのかモーニングコーヒーを飲むには少し冷めています。

そこで、やかんで沸かしながら、朝食作りをして、ポットにお湯を注ぎやっとコーヒーが飲めます。

ところが、最近、朝食を終えた頃にやかんで湯を沸かす父親の姿を見かけます。

そうなんです。

ポットの湯がどれ残っていようが、その温度が高いか低いかに関わらず、「朝は湯を沸かす」ことを勝手にノルマとして、こみちの沸かしたお湯を捨ててしまうのです。

それが1時間か2時間前に沸かしていても。

父親の場合、簡単な料理も作れません。

というか覚える気力がありません。

なので家事の中でもできることが限られていて、例えば「湯を沸かす」「風呂を洗う」ようなことしかできません。

洗濯機を操作することも怪しく、ネットに入れる衣類がどれかとか、水量や洗剤の量などを判断できないみたいです。

床を掃除機で掃除できても、トイレ掃除はできないという具合で、「すべてを任せる」というような分担ができないので、個別にできることをしてもらうというスタイルになります。

それ故に、「湯を沸かす」というのは父親ができる数少ない家事で、でも沸かしたばかりかを確認して作業することができないので、何でもかんでも捨ててしまうというようなことが起こります。

「もっと他にしなければいけないことをして欲しい!」

そんな風に思ってしまうのですが、でもそれが「在宅介護」です。

単なる同居という場合なら、「湯を沸かす」もしっかりと役割分担できるのですが、朝食作りで湯が必要になるのでこみちが沸かす。でも、またすぐに父親が沸かし直す。

何より、湯を沸かす父親にすれば「オレは家事をしている」という認識です。

みんなのライフスタイルに合わせて「湯を沸かす」ことができればいいのですが、どうしても重複し、余分な作業が増えてしまいます。

傾向として、人がしていることや、やり終えた後に同じことを始めるケースがふえました。

今、一階を掃除機で掃除しています。

父親が湯を沸かしている間に、こみちが掃除したところをまた掃除しているのです。

これは介護士としても興味深い部分で、きっと父親自身は嫌味で後追いするのではなく、誰かがしていたこと(ここではこみちの掃除)が「掃除」というワードで記憶に残っています。

それで、見たことや誰かの真似を始める行動パターンが生まれます。

思うように進まないことが家族としてじわじわとストレスになりますが、「在宅介護」ではこのようなことが頻繁に起こります。

増えている「ピーマン」

冷蔵庫にピーマンがあります。

昨日見た時に、残りは何個だから朝食で使おうと思っていました。

しかし、今朝、冷蔵庫を開けると増えています。

そうです。母親が無いと思って「同じ物」を短期間で複数買ってしまいます。

母親の場合も「メモする」という方法を何度伝えても、しばらくするとメモをしなくなって、重複して購入することがやめられません。

数日前は「もやし」でした。

しかも新しく買ったもやしが、当日までのもので、消費期限などの文字は小さくて、ほとんど確認しないで買っているのでしょう。

「今日まで!?」

ご飯を作る時に何を食べたいかではなく、「どれを消費しなければいけないか」が多いのです。

老いたら何もできなくなる訳ではありません。

しかし、断片的になりやすく、トータルで考えると問題が起こる部分もでてしまいます。

夕飯、母親が作ることになっていますが、その大半はスーパーの惣菜です。

大変だろうからそれでも仕方ないと思いますが、成長期の子どももいないのに、毎晩揚げ物が続くと流石にさっぱりしたものが恋しくなります。