「不安感」や「喪失感」に支配されないために
年末あたりから、心の健康を損ね始めたこみちです。
さまざまな心配事が重なり、いつしか自分では背負えなくなってしまいました。
「ここまで乗り越えたら、少し休もう」
そんな感覚や意識はあっても、「ここまで」がもう乗り越えられません。
乗り越えられないので、気づいた時には延々と継続されている状況になっています。
そうなってしまうと、自分では抜け出せなくて、誰かに気づいてもらうしかありません。
こみちの場合は、妻でした。
「少し仕事を休ませてもらったら?」
実は昨年の春先にも一度心が折れていて、その時も妻が救ってくれたのですが、その時は「休ませてもらえば?」という真意にも気づいていませんでした。
以前にも触れていますが、妻に言わせればこみちは無表情で、ほとんど動かずに、妻から何かアクションを起こしてもらわないと「食べること」さえ眼中になかったくらいです。
でも、そんな状態になっていても、当時は何も感じませんでしたし、だから何をどう心掛けるということもありません。
もしも、こみち一人だったら、そのまま座っているだけでした。
年末の時は、「休めば?」と言われて、何が起こっているのか理解できました。
でも、今日みたいに、急に不安な気持ちになって、心細くなり、どうすればいいのかさえ分からなくなってしまうことが起こります。
幸い、落ち込み始めた頃に妻が帰宅し、事情を話すと「大丈夫だよ!」と笑ってくれました。
全然関係ありませんが、妻はベッドと壁の隙間に身体を沈めて、スマホでYouTubeを観ているのが好きみたいです。
すっぽりと収まる感覚がいいのでしょうか。
そんな姿を見つめつつ文章を書いているのですが、画面を見つめてクスクスと笑っている表情に癒されます。
「ねぇ、コーヒー飲みたいなぁ!」
といえば、「私も」と言って運ばれてくるのを待っているでしょう。
でもその加減が嬉しくて、こみちが渋々キッチンまでコーヒーを取りに行くことなったとしても、心の中では感謝でいっぱいです。
今日はあまり考え過ぎないようにして、また明日、頑張ることにします。