介護福祉士の試験に合格した「こみち」が考える介護のタイミング
生きていれば、必ず人は「老い」ます。
中高年になると、体力や気力の衰えから始まるでしょう。
さらに、記憶力も低下し、仕事でも凡ミスや確認の大切さを実感するはずです。
それは同時に、それまで「未来」が発展的なものから「現状維持」へと変化することでもあります。
一年ごとに進歩しているという実感よりも、何となく身体のどこかが不調になったと感じることが多くなり、健康に関心がなかった人でも運動を始めるという人が増えてきます。
介護士のこみちが考える「介護」とは、日常生活の「サポート」を意味します。
非効率でも、質素でも、豪華でも構いません。
その生活を自身の判断で賄えているなら「介護」ではないでしょう。
しかし、10の内9までできるけれど、どこか抜けてしまうことが増え、それが段々と明確な蓄積になってしまうと、それは「介護のタイミング」です。
よくあるパターンとしては、家の中が乱雑になってきた時でしょう。
元々、整理整頓ができないタイプの人では気付きにくい部分ですが、段々と使ったものを片付けられないことが増え、物をその辺に置いてしまうという習慣が身に付きます。
理由は簡単で、「面倒」になるからです。
それまでなら気力も体力もありますから、その面倒も習慣によって覆すことができました。
また、記憶力の低下は、同じ商品を続けて購入したり、複数の作業になると極端に時間が掛かったり、手付かずの作業が残ったりします。
覚えていることはできても、どうしてもいくつかは忘れてしまうのです。
例えばそれが火の始末やお金の管理に関わることなら、それこそ「介護」が必要なタイミングです。
「介護」が必要なタイミングは本人には分からない!?
生活の不便さは初期の頃なら違和感として認識できるでしょう。
しかし、在宅介護の段階では「抜けていること」はそもそもその時に覚えていないので、家族からサポートされても気付きません。
また、サポートしていることを指摘された時に、「あなただって!」と対等な関係であることを誇示するかもしれません。
なぜなら、「できなくなっている」という事実をもう認識できないからです。
家族も最初は「ここが抜けていた」と指摘するかもしれませんが、段々とそれが難しいことと気づき、やがて言わなくなるでしょう。
もしもそのまま言い続けてしまえば、家族の関係性さえ崩壊しかねません。
そんな時は、介護認定を検討しましょう。
初期段階から始めることで、健康的な生活が将来的に継続できます。