変わらないもの
介護士として働いた経験がある人でも、「在宅介護」がどのような状況かは想像できないでしょう。
もしも、「イメージできる」と思う人がいたら、施設介護ではなく、訪問介護を経験してみるべきです。
しかし、「在宅介護」を理解することは、介護士として働く上でも大切で、具体的には要支援1や2にもまだ該当しない高齢者の暮らしがその後の生活に大きく影響するからです。
こみちの家は、今、両親と妻の四人で生活しています。
70代の母親は健康と父親との生活を維持するために働いています。
しかし、勤務先の担当者からは段々と勤務日数や時間を減らして行くように勧められているようで、正直なところ切羽詰まった状況です。
一方の父親はもう10年以上も前に早期退職し、それ以来働きに出ていません。
以前から何度か触れましたが、基本はテレビを見て1日が過ぎてしまいます。
こみちが介護士の仕事を辞めて朝食を作ることになり、例えば日中に使う「お湯」を沸かすことになったり、トイレ掃除や部屋の掃除、洗濯と家事を増やすことで、両親や妻の負担が減るのですが、その分だけみんなの生活にゆとりができる訳でもありません。
朝、起きてキッチンに来てみると、昨晩に使ったであろうコップが一つ置いてあって、それを洗うことはわずかな作業ですが、「朝、こみちがするだろう」という感覚になっているのです。
買い物は母親が仕事の帰りにスーパーで買って来てくれるのですが、最近、立て続けに同じ商品を購入していることが増え、少し認知が低下しているようです。
仕事をまだしていますし、職場で迷惑になっていなければ良いのですが、深く考えると何もできなくなってしまうので、継続しているような状況です。
夕飯は母親が担当しています。
というのも、母親は「時間がない」と言って大半を惣菜で済ませます。
こみちたち夫婦で暮らしていた頃でも、これほど揚げ物などを連日食べていたことはありません。
気になるなら、夕飯の準備もこみちがするしかありません。
しかしながら、仮に担当を増やしても両親が何かをしてくれる訳ではなく、その意味では負担が増えて「今を維持している」状況です。
変えたいもの
変えたいものを考えると、それこそ「4人での暮らし」はあり得ません。
年金しか無い父親は、毎日のように医者に通い、でもそれが唯一の外出理由となっていて、家ではテレビをを見て、コソコソと人がいない時間にお菓子を食べています。
体質的に太りやすいとはいえ、お腹は本当に丸々と膨れていて、悪い膝に負担を掛けています。
しかし、在宅介護の難しい部分で、「自制してまで行きたくない」と言われてしまえば、それ以上強いることもできません。
実際、運動した方が良いとか、自転車を買って近所を走ってみてはというような話をしましたが、毎回、断られる状況で、最後には怒り出すというのがパターンです。
そこまで言うなら「好きにすれば?」とさじを投げたのですが、その後の体重増加や歩行の機能低下が進んでも「今の生活」しか見ていないので、例えば母親が仕事を辞めた後の生活に備えてはくれません。
こみちにとって「生きる意味」とは?
もしも生まれ変わることができるのだとしたら、今の生活をやり直したいと思います。
それくらい現状は行き詰まっています。
両親の介護負担や夫婦の老後など、明るい未来が見えない中で生きています。
改めて「生きる意味」を問われてしまうと返答に困りますが、それこそ「今」しかありません。