子どもの頃に想像した「大人」って!?
例えば10代の頃、将来の職業をどう決めただろうか。
こみちの夢は、「数学者」「物理学者」「電気屋さん」「旅人」とそれぞれが全くことなる職業ばかりだ。
もちろん、その頃に「介護士」という未来は想像していなかったし、自分が老いて行くことも、「中高年」と呼ばれる年齢になるまで生きていることも想像できなかった。
これはよく記憶していることだが、当時8歳だったこみちがぼんやりと「20年後」を想像して「28歳になっている自分」を思ったことがある。
「28歳? 大人じゃん。結婚している? 子どももいる?」
8歳の子どもにとって、28歳は大人だったし、それは「人生が変化から安定へ」と移行していることを思ったりした。
でも実際はどうだろう?
28歳になっていたこみちは、地方から上京し、少しずつ都内の生活に慣れて、地下鉄にも乗れるサラリーマンとして働いていた。
仕事柄、当時は2キロを超える重いノートパソコンの入ったバックも提げて、両手いっぱいの荷物を持って打ち合わせ先の会社を回っていた。
打ち合わせ時間まで余裕がある時は、目についた喫茶店に入り、ノートパソコンを開いて「プレゼン」のシュミレーションをしてみる。
職場でパソコンを使うことが当たり前になって、インターネット接続も常識になり、でもまだ街中の店先でノートパソコンをわざわざ使う人は少ない。
当時なら、スーツ姿でノートパソコンを使っていたら、「SE」とは「プログラマー」「クリエイター」などを想像しただろうか。
学生時代にプログラミング少しかじったが、社会人になってから「HTML」や「Perl」「Java」「C」を勉強した。
きっと同年代の方なら懐かしく感じるのではないだろうか。
いずれにしても、子どもには大人に見えた「28歳」でさえ、まだまだ未完成な部分もあって、だからこそ可能性も未来も待っていた。
ところが、中高年になると「未来」は「老い」で、人生の終わりを示している。
中高年になって思う「未来」
どこまでの未来を明るいものと感じるかは人それぞれだが、こみち自身は「60歳」「70歳」をそれぞれの節目と考えている。
残された時間がそう長いものではないし、それこそ健康が保たれるとも限らないから、大きな野望よりも小さな「夢」を叶えていくことが大切だろう。
今の自分が「100」という値なら、目指すのは「100.5」とか「100.3」とか、コンマの話で、もう「200」とか「1000」というような成長は期待できない。
コンマいくつをどう生きるか。
そのためにも、今ある有効なものともう少しで手に入れられる可能性をしっかりと整理して、時間と労力と相談しながら、毎日を生きていくつもりだ。