「お金」の話

 完全に愚痴です!

今晩、夕飯を食べている時、母方の叔母の葬儀に合わせて、遠方ながら母親が久しぶりだからと行く気でいた。

それも、いろいろあってどうかなぁと思う部分もあるけれど、その費用を「お父さんが出してくれる」と喜んでいた。

父親も得意げに「これくらいはしないとなぁ」と御満悦。

しかしこみちは違う。

「ん?」

って心境だ。

なぜなら、父親の妹の件で、入院費から不動産の手配、介護施設の入所、お金だけでなく、方々に頭をさげて今に至る。

なぜか。

父親が一切しないと言い出して、説得にも応じなかったからだ。

「おばちゃんが今の住まいで住めなくなってもいいの? 路頭に迷っても助けないの?」

「ああ助けない。オレには関係ない」

「言っている意味が分かっているの? お父さんの妹だよ?」

それでも、テレビを見て過ごした。

どれだけのお金と労力を使ったと思っているのだろうか。

それを経ての「これくらいはなぁ」なのだ。

あの時、貝のように耳を塞いで、何を言っても動かないで、呆れさせた父親が、まだこの場に及んで「カッコ付ける」ことに驚いた。

しかも、母親は工面したことなども忘れているのか、「今」に喜んでいる。

時々、両親は面白い反応を示すのだが、「子どもだから当たり前」という意識があるらしい。

どこどこの家は「子どもが車を買ってくれた」とか、「旅行に連れて行ってくれた」とか。

本当に頭が痛いし、怒りを通り越して、またため息が出た。

ケチでもいいけど、前後関係とか、自分のしてきた失態とか、まだ舌の根も乾いていないのだから、少しは発言に注意して欲しい。

10年以上も働いていない父親が、今でもへそくりを隠し持っている。

なぜか?

出すべき時に出さないで、「オレは持っていない」と責任を果たさなかったからだ。

それは母親が払い、こみちや妻へと回って来た。

欲しいものを買うのも我慢して生きているのが馬鹿らしい。

「お金がない」と、心配している自分がいて、仕事探しや将来に不安や焦りを感じていても、父親は安心してテレビを見ている。

子どもが親の面倒を看るって何だ?

自分のことを削って、親の道楽を続けさせることなのか。

本当に頭が痛い。

皆さんはどう思いますか?

子どもとして「器」が小さ過ぎるのでしょうか。