「開運」を気にしたならば

 「開運」って何だろう?

長く戸惑い、燻り続けているこみちなので、本当に遠回りしている人生だと感じます。

器用に生きられる人なら18歳の時点で、もう今のこみちの「ステージ」まで到達していることでしょう。

これでも長く生きて来て思うこともあって、それが人生には幾つもの「ステージ」が段階的に存在していて、長い一生の中で選択しながらもその「ステージ」を一段ずつ上がっているのではないかと仮説を立てました。

いわば、「開運」とは次なる「ステージ」に向かう入り口へと導いてくれる行程で、日常生活での繰り返しで見過ごしていた「きっかけ」に気づかせてくれるのです。

何かを始める時、第一グループと第二グループ、ずっと離れて第十グループと比較した時、間違いなく第十グループのレベルは第一、第二よりも向上しています。

だから、「これが流行るかもしれない」と流行に気づき「行動できること」は一つの才能です。

安全パイを狙って、長い時間様子をみてから行動すれば失敗のリスクはかなり減らせますが、代わりに成功した時の報酬も減ってしまいます。

これはある有名なYouTuber の若者を見て感じたことですが、その人は稀に見る才能の持ち主で、同年代だけでなくこみちような中高年も納得するくらい結果を残しました。

そんな優れた人だから、何でもできるのかというと、そんなことはありません。

時々、「アレ、知らないの?」と思うようなことを初めて体験する様子も動画で見られます。

何が言いたいのかというと、「全ての面で優れた人」になれるのは相当な時間が掛かるということ。

つまり、若者を含めて、中高年の我々が「何かで結果を残そう」と思うなら、先ず一本の「道」を切り拓くことでしょう。

ある1つの分野で到達できた頃には、横の繋がりもできて、手つかずだった分野も今まで以上に早く到達できます。

ここで結論を言いますが、どんな分野でもいいので「先駆者」となる。

それが大切です。

さらに言えば、「どんな分野でも」とは言いながら、「開運」という意味では「流行りそうな」という分野ほど早く結果が伴います。

例えば、一枚の風景画がある。

それを描くことができたら、「絵が好きな人」ならちょっと描けて嬉しくなります。

でも、その価値はとても個人的で、他人からは理解できません。

だからといって、さらに「上手に描いた」としても、やはり評価はほとんど変化しないのです。

少し前、世間では「トレース」といって、写真などを透かし描き、作品を作るという手法が問題視されました。

最も、「トレース」は描き方の技術なので、本来なら問題視されるのもおかしな話なのですが、「透かし描く」という方法が分かりやすさもあって取り上げられました。

こみち自身は「トレース」を好みません。

その理由は、「トレース」するくらいなら「描く必要性」はないからです。

しかし、例えばまだ技量の面で不安があって、でも人気のイラストレーターとして評価されると、「未熟な作品」を出せない気持ちになるでしょう。

「見たまま」「感じたまま」を自身の感性を通して描くのが楽しいはずですが、そうとも言えず、「上手い」という世間からの評価に焦ってしまうと、原画をそのまま「謎ってしまう」のかもしれません。

イラストレーターや画家のように「絵」を扱う仕事をしている人は、「描く意味」についてとてもよく考えるはずです。

こみちもコップやボールなど、単品を描くことから始めて、奥行きや光、空気感など、描きたい対象が「モノ」ではなく、「雰囲気」に変わって、原画を謎って写し書しても、どう描いて行くのかはその段階では判別できません。

つまり、「トレース」でほぼ完成する作品は、原画と比べて低品質になりやすいのです。

一方で作品作りとして考えると、「なぜ、この景色だったのか?」という説明の部分こそが大切で、その時に使われる言葉こそが、作者の描いた目的であり、立っている「ステージ」でもあります。

街を散歩して、良い雰囲気だと思う。

辺りを見て、カメラでスナップ写真を撮りたいと思う。

でも、足を止めて、スケッチブックを開いて描こうと思うかというと、そこまでは思えない。

その差って、「説明」の部分と重なって、「この写真、良い雰囲気でしょう?」は言いやすくて、「このアングルで描いてみたんだ」は重いのです。

着色までしないような線画なら、それこそ歩いていても数分で描くことはたくさんあります。

それはカメラを構えてシャッターを切るようも抵抗がないからです。

でも、画板を首からさげてまでは描きたくありません。

「開運」のよって、何か気づきがあると嬉しいのですが、「絵を描くこと」をどう活かしたらいいのか分からずに、試行錯誤しているような感じです。

でもある時、「ステージ」が変化したら、これまで見えていた景色も一変するでしょう。

こみちにとっては「絵」ですが、人によってはそれが異なり、ある時に「もしかして」という体験が待っているはずです。

そう信じたい。「開運」という言葉に、何か期待してしまいます。