特養ホームと老健の違い
もう、ここでは「特養とは…」という説明は省きます。
どちらかと言うと、初めて介護に触れる方ではなく、ある程度現場経験を重ねた人に共感してもらえたらという記事です。
こみちが勤めていた介護施設は老健なので、「在宅復帰」に向けたケアプランが基本となります。
しかし、現実的な意味で、施設入所直前の生活は、必ずしも継続可能なものではなかったりします。
具体的には、「同居家族がいない」や「家族からの支援拒否」などです。
綺麗事ではなく、現実問題として、家族の「下の世話」をできますかという話です。
入所者の健康状態が回復されると、彼らの生活を支援できる状況なら「老健」を選択するべきですし、老健で働くスタッフは支援にも力が入ります。
しかし、現実的には老健が特養ホームのようになり、こみちの勤務していた施設もそうですが3年、5年と長期的に入所される利用者もかなり居ました。
その背景には、健康が回復して施設を出ても、その後の生活が継続できないという事情があります。
実際、在宅復帰する割合よりも、特養ホームが決まって移動する方が多くなっています。
未経験から3年後を迎えた時に
介護の仕事は、年齢や経験を問われない求人も多く、中高年の方が就職先の候補にもなってきます。
異業種では正社員が難しい場合でも、介護職なら比較的容易に「常勤職」を勧められるでしょう。
パート職との違いは、「賞与」の部分で、年間で30万円くらい違うこともあります。
しかし、一方でシフト勤務での融通が難しく、人材不足の現場ほど見えないサービス残業も否めません。
この辺りを比較して、常勤職を選ぶか、パート職を選ぶか選択してもいいでしょう。
こみちの場合、未経験からの入職だったので、3ヶ月の試用期間が設定されていました。
介護の仕事が何なのか全く理解できていなかったので、初勤務から1ヶ月くらいは「見えている作業」をしていたという感覚です。
なので、正式な採用となるのか心配でした。
それくらい、「これで良いのか?」と思うほど、介護の仕事は何をすれば良いのか理解できていませんでした。
ただ、こみちの場合、実務者研修を終えてからの入職だったので、「介護保険制度」や「介護度」「介護認定」などのワードは知っていました。
それでもギャップを感じるほど、実際の現場は卓上の学習とは異なります。
その後、正規採用が決まり、オムツ交換も一人でこなすようになり、段々と作業の幅も広がりました。
その頃から感じるのは、利用者の気持ちと介護スタッフの気持ちが基本「乖離」していること。
なぜそんなことが起こるのか考えてみると、先に紹介したように「在宅復帰」を目指す老健なのに、在宅復帰は状況的にできないと決まっているからです。
つまり、入所者の健康がどんなに回復しても、彼らを引き取る家族がいません。
金銭の面ばかりではなく、世話そのものを拒否するケースが少なくないのです。
そうなると、介護スタッフは利用者に「どんな支援」を提供すれば良いのでしょうか。
「さぁ、リハビリを頑張りましょう!」
「これをしないと、元気になりませんよ!」
そんな声掛けが、意味をなさないことも理解できるでしょう。
こみちの場合、「食べたくないの?」と一旦は利用者の意思を受け止めていました。
その後に、「もう少ししたら食べられる? それとも下げてしまう?」と、選択してもらいます。
一つには、利用者は「自分の意思」を奪われやすい傾向にあります。
なぜなら、多くの介護スタッフは言葉こといろいろでも、「誘導する声掛け」が多いからです。
「食べてください」「待ってください」「動かないでください」「勝手にしないでください」
ケアプランに従って、利用者の目標を叶えるということが不可能になっている以上、介護スタッフはどうしても自分の作業ノルマを片そうとします。
そうなると、利用者があれこれしない方が効率的なので、結果的に声掛けも「命令口調」です。
それぞれに言い分や思惑があるのですが、多くの介護施設では、同様の問題を抱えていることでしょう。
だからこそ「介護とは何か?」を考える必要がある!
自力での生活を困難になって来た時、例えば隣近所の負担も結果的に増えます。
「住み慣れた場所で暮らしたい」という希望は誰にでもあり、でもそれを可能にするサポートが見込めない時は、次の展開も考えなければいけません。
こみちの叔母のケースでは、トイレに異物を流して排水管を詰まらせてしまい、下の階の住人に大変ご迷惑をお掛けしました。
「それをしてはいけない」という判断が困難になってくると、「ゴミを分別して出さない」とか、「そもそもゴミを捨てないで屋内に溜め込む」などが起こり得ます。
そのような状況になると、「火の元の心配はないのか?」など、隣近所で暮らす人も気になるでしょう。
そんな状況を伝えて聞き、家族や親戚が身元を引き取れるなら幸いです。
しかし、ある程度進行した認知症など、介護経験が乏しい人が、いきなり世話を始めるのはお互いに大変です。
仕方ないことですし、誰しもが可能性としてあるのですが、怯んでしまう状況も起こります。
そうなってしまうと、介護施設への入所も検討しなければいけません。
しかし、収入によって価格は大きく変動しますが、受け入れてくれる施設はどこも「特有の問題」を抱えながら運営しています。
入所者に適したケアプランを作っても、それが状況として不可能なら意味がありません。
言い換えると、家族からの支援が拒否されたら、入所者の意思には関係なく、その施設で最期を迎えるまで過ごすしか選択はありません。
しかし、介護スタッフも、入所者を「社会的な弱者」として扱わない意識改革が必要です。
「もう一杯、お茶が欲しい」と言い出せない入所者が多いことを知っているでしょうか。
ある利用者に「お茶はどうですか?」と聞き、隣の利用者にも「どう?」というと、大体はどこかから「お願い」と声が掛かります。
腎機能等で水分制限がない限りこみちは対応するのですが、意外にもそれが介護士にできるギリギリのラインです。
医師や看護師のように特別なことではなく、そんな些細な気配りが、「生活に豊かさ」を与えると思います。
しかし、それでも言えない人はいて、ただ黙って待っていたりします。
一方で、何も言わなければ何もしない。
そんなスタイルの介護スタッフもいました。
とても作業が手早いのですが、利用者の気持ちには寄り添っていません。
でもそれが悪いのかというと、月に5回以上夜勤帯の16時間労働をして、朝も6時には介護を初めて、遅い時は6時半の予定が7時、7時半にもなってしまう労働をしても、月給としては大卒の初任給と年収ベースで変わりません。
金額の大小ではなく、今後も可能性という意味で、介護スタッフと新卒者の状況は正反対なのです。
それでも、利用者に寄り添えと強いられても、どこかでセーブしてしまうのは人間だから仕方ない話でしょう。
結局のところ、介護業界や介護保険制度という枠組みで考えると、介護スタッフとして働く目的や将来性がとても不明確なのです。
未経験から8年、10年くらいで目指せる「ケアマネ」も、多くの経験者が家族からの無理難題で疲弊してしまいます。
しかも介護スタッフと比較しても優遇された報酬ではなく、現実を知るほど「やりがい」が見えなくなってきます。
真面目に考えると既に「詰んでいる」ので、日々をどうにか乗り越えている。
そんな状況が介護現場にはあります。
でも、それで良いのでしょう。
そうしないと、入所者は生活に困難しながら暮らすしかなかったからです。
「今」を少しでも気分良く暮らしてもらえたらと思って介護することがスタッフには求められています。