「目眩がしてふらつく」と騒ぎ出した父親

夕飯を食べようとダイニングに向かったのだが

珍しく父親がキッチンに立っていた。

でも、片足を引きずるように歩くのは相変わらずで、「めまいがするんだ」と何やら騒いでいる。

もう言いたいことは分かっていて、「オレは大変なのに頑張っている」をアピールしたいのだ。

それでもまあ我慢して食べ始めると、今度は母親がなかなか座らないばかりか、食器洗浄器をいじり始めた。

「食べたら?」

何をしているのかと思いながらも、見ないようにしながら食べていると、母親は勝手もよく分からないまま解体し始める。

「大丈夫ですか?」

横で食べていた妻が声を掛けると、耳が遠いのか返事をしない。

箸を置き妻が立ち上がり、こっちを見ている。

正直、イラッとした。

「食べてからすればいいのに」

仕方なくこみちも席をたち食事洗浄器の排水管を掃除し始めると、何も状況が分からず母親まで来て「キレイになった」と喜ぶ。

父親は何も知らん顔で一人食事している。

状況を把握できない父親と母親。

目の前だけを見て生きている感じだ。

つまり広い意味で、父親は「認識機能が低下」している。

自分の考えは絶対に通し、周りの声には耳も貸さない。

でも、絶えず世話焼きな母親に絶えず甘えて、でも甘えているという認識ではなく、世話させているという感覚は昔から変わらない。

それは、こみちにもそうだし、妻に対しても同じで、100%父親のことでも「ありがとう」とは言わず、元から自分のことでは無いという意識になってしまう。

そんな父親だからと、家族で決めて申し込んだ介護認定調査も、自己判断で勝手に断ったのは父親だ。

自分で車を運転し、普段なら歩きたがらないのに役所まで出向いた。

それができるのに、何か家事を頼むと面倒くさいという態度を示す。

本来なら「頼む」では無い。単純に頭数で家事を分担したいだけだ。

でも父親ができるのは食器を拭いて棚にしまうとか、掃除機を使って掃除するくらいしかできない。

それをお願いするだけでも、自分がした方が早いくらいだ。

叔母の件でつい数日前にも、10万単位の支払いをした。

父親は一切出していないし、相手方に連絡もお礼も言っていない。

頭をさげて来たのは、こみちと妻だ。

それさえ無かったことにして、今は目眩すると騒いでいた。

随分と身勝手なものだ。もういい加減にして欲しい。

妻はこれまで何度も説明して理解できない父親のことを諦めているらしい。

数年前、高齢で認知症になった飼い犬を、「こんな風になったら終わりだ」とこみちたちの飼い犬に唾を吐いた。

流石に本気で怒ろうとした時も、妻が止めてそれっきりだ。

いろんなことを我慢して我慢して、それでもそれを上回る勢いで父親はこみちの感情を逆撫でする。

しかも、逆撫でしていることに気づいていない。

厄介だ。

少し落ち着いて来たつもりだったけれど、今日の夕飯を早々と切り上げて自室に戻ることでしか乗り越えられそうにない。

でも夕飯の片付けはこみちの分担だ。

腰の悪い母親が、無理をする前に戻らなければ。

リビングで父親は当たり前のようにテレビを観ているだろう。

何も変わってくれない。

父親はいつも自分が思うように生きて、周りからの助けを当たり前のように受ける。

叔母も似ていたが、周りには頼らずに生きてきた。

でも、自身の生活が維持できなくて施設へと入ってもらった。

父親は叔母のことを「捨ててもいい」とまで言ってしまう人だ。

「その意味、わかっている?」

「もう面倒だ! 知らない。勝手にしろ!!」

そして父親は唯一の妹も捨てた。

だから自分が働いてお金を出すこともしないし、お世話になった方にもあいさつを拒む。

そこまでしておきながら、痛いだの目眩するだの、もう本当にいい加減にして欲しい。

でも変わった性格の母親は心配そうに「お父さんが、大変なの」と騒ぐ。

面白いもので、こみちが少し不機嫌な態度を示すと父親は演技を止める。

それができるのだから、せいぜい「まだら」なのだろう。

久しぶりにイラッとして、自室の床を一回だけ思い切り叩くとずしんと家に重い衝撃音が響いた。

手にまだ叩いた感触が残っている。気持ちも少しスッキリした。