「覚悟を決める」ために

 しばらくぶりに職場へ

職場を離れてみて、精神的な回復を感じます。

何が原因で、どう改善すれば良かったのか、正直なところ明確な答えは出せません。

先に触れるなら、両親との同居が始まり、彼らの将来を考えると、自分たち以上の切迫詰まっていて、しかも既に対策さえも放置している状況なので、考えれば考えるだけ「不安」は膨らみます。

家のことと、施設での高齢者サポートの両方に気を回せるだけの器がなかったのでしょう。

多分、叔母の施設入所や不動産の後始末、それに伴う多額の資金の捻出。

これらが、こみちの精神をかなり弱らせたと思います。

どこかでこみちが無意識に尊重しているポイントがあって、それは介護士として働いている時も、もう一つの仕事をしている時も、家で料理や洗濯、掃除をしている時も、共通していることです。

つまり、今後の未来を見据え時も、そのポイントがとても重要になっています。

しかし、それ故に迷ったり、判断できないということもありました。

ちょうど3年前、介護の仕事をみようかと思ったのも、介護に対する興味からではなく、判断できなくなってしまったからです。

「覚悟を決める」ために

こみちは、やはり絵を描いていたり、文章を書くことが好きです。

でも、現時点で「プロ」としての水準には到達できていません。

どこかで自分が楽しくなるように「描いたり、書いたり」しているからです。

でも、もしもこれらを本気で仕事とするのなら、「自分のために」から「誰かのため」に意識を変えることが不可欠です。

こみち自身、父親の愚痴を文章にするのも、ストレス発散ばかりではなく、「本当の介護」を少しでも知って欲しいからです。

介護の仕事を始める前、「介護の仕事って何だろう?」と思っていました。

その時は、オムツ交換という作業と介護はまだ遠い存在だったからです。

しかし、段々と両者が近づいてきて、今ではしっかりと関係性も掴めて、だからこそその先にある「介護」の大切さにも気づけました。

冒頭の話に戻るなら、施設での介護をしている時に、気づいた介護とは異なる現実に悩んでしまったのです。

でも、介護をどう理解するかは人によって異なります。

施設は人材育成として、その底上げに力を入れてなければいけません。

しかし、先の記事にも書きましたが、すべてのベテランスタッフが介護と向き合っている訳ではなくて、こみちから見ると保身のようなタイプも多いのです。

では彼らをどう教育しなければいけないのかと考えた時に、こみちは続けていけないと思ってしまいました。

父親もそうですが、人が変わるというのはとても大変で、どれだけ自己を客観視できるかがポイントです。

あまりにダメな部分ばかりを見てしまうと、存在価値を見失うでしょう。

精神を壊してしまうきっかけにもなります。

それを恐れていたり、耐えられなかったりすると、人は無意識にブレーキをかけて現状維持を貫きます。

でも何も変わらなければ、誰かが犠牲にでもならないと家族として崩壊する現実が待っています。

今朝、妻がポツリと「苦しい」と言いました。

弱音を吐かない妻が言ったひと言がどれだけ重いのかしっかり受け止めなければいけません。

変われない両親。苦しんでいる妻。そして、少し回復したこみち。

覚悟を決めて、一歩を踏み出すしか抜けられません。

どうか妻には精神を壊して欲しくありませんし、両親が健康でありますようにと願ってしまいます。

こみちもまた、今できることをしっかりと行なって、明日の希望をつかみたいです。