介護が必要になる「タイミング」とは?

 こみちの考え

最近では、65歳で定年を迎えるケースも増えています。

以前は60歳で定年し、年金が受給できる65歳までの5年間をどう乗り越えるか悩んでいた人も多いでしょう。

会社によっては嘱託職員として再雇用されたり、地域で募集されている様々な仕事で再び頑張っている姿もたくさん見てきました。

その意味では65歳で年金を支給できれば、老後はひとまず安心でしょう。

一方で、退職してしばらくすると、現役時代とは異なりのんびりとした毎日がやって来ます。

現役時代なら、忙しい人は5分とか10分、もっと忙しい人は1分単位で時計を見ながら働いていたかも知れません。

しかし、いつの間にか体がのんびりに慣れてしまい、1日何か1つは予定を入れるというようになってしまいます。

また、曜日に対する意識も薄れて、毎日が日曜日という感じで、役所に行こうと思ったら「休み」だったというようなことも経験するでしょう。

昨日とは違う自分になる

多分、人が生きる目的は、「理想の自分」があるからでしょう。

ただ、生涯を通じて、常に目標があるという人は珍しく、だからこそ結婚や子育てをすることで今までの暮らしとはまた違う「生活」を築いて行くのです。

晩婚化や子どものいない家庭も少なくありません。

人生という意味では、結婚や子育てをしない人ほど、「生きる目的」を自分から見つけなければ中高年になる頃には毎日が惰性だけになってしまいます。

その意味では、人付き合いや趣味を持ちこと、さらには人生を楽しもうと思う気持ちなど、意識的に持保つことが大切です。

介護が必要になるタイミング

「介護」というと、こみちなどは「オムツ交換」というイメージがあります。

しかし、実際に「介護」が必要になるタイミングは、「オムツ交換」の時ではありません。

何かを始めた時に、それまでしていたことができなくなった時なのです。

具体的には、出掛ける用事がある日に、その準備で手がいっぱいになり、例えば食事を作ることなど、普段していることまで手が回らなくなってしまうような時です。

中高年の現役世代の方なら「そんなバカな!」と思われるかも知れません。

例えばこみちの家では朝食をこみちが作っています。

今日は、両親が揃ってお出掛けする予定です。

すると朝の4時にはなぜか起き出して、朝からゴソゴソとしています。

朝食の用意があるので、少し早目にこみちもキッチンに来たのですが、いつもはしないシンクを洗い出したり、ポットに水を注いだり、肝心なキッチンを占領しています。

「おはよう。何時に出るの?」

聞けばまだ3時間以上もあります。

しかも、前日にパンを買って来たらしく、「朝食は要らない」と言うのです。

こみちにすれば、妻と自分の分があるので作ることに変わりないのですが、そうだとしたら昨日の時点でひと言言ってくれると準備も違います。

四人分のつもりで用意して、でもいざとなると使わないということが結構、多いのです。

それだけ時間も手間も掛けているので、「見切り」が早いと作業効率は上がります。

言い換えれば、臨機応変に物事に対処出来なくなるのが「加齢」の兆候と言ってもいいでしょう。

「何かをする」となった時に、いつもの予定の中に上手く組み込める人はまだまだ心配いりません。

しかし、何かするとなった時に、誰かがその準備やフォローをしないとできないタイプは、それだけ早く「介護」も必要となります。

例えば、朝早く起きて来たのなら、朝食を作ってくれてもいいのです。

しかし起きて来て、バタバタしている割に、何をしているのかがよくわかりません。

何より、隙間隙間で朝食を作ることになったこみちにすれば、いつも以上に邪魔に感じます。

「ン?」

今、外で車のエンジンが掛かりました。

さっき聞いた出掛ける時間よりも1時間以上早くですが、もしかすると出掛けるつもりかも知れません。

「そんなに早く?」と思いますが、余裕のある「1時間」で何か必要なことをしておけば良いと思うのですが、「出掛ける」が唯一の目的となり、いろんな家事を放置したまま出掛けてしまう可能性があります。

両親が担当する家事を残して行ってしまえば、それを放置するかフォローするかは、こみちが判断しなければいけません。

しかも予定にない作業を朝の忙しい時間帯に組み込むことになります。

間に合わせるために、いつも以上にこっちまで忙しくなって…。

でも、そうしないともう両親が何かを始めることができないのです。

車が動き出しました。

本当に出掛けるみたいです。

まだ、家にこもっているよりは健康的なので、二人でのお出掛けを楽しんで欲しいですね。