間違いだらけの「介護」を考える!

 介護認定は「生活に困難」を感じてから?

「介護認定」というのは、公的な介護サービス(訪問介護や介護施設の利用など)を始める時に欠かせない手続きです。

申し込みは、お住まいの地域の福祉課などに相談するといいでしょう。

こみちの家にも高齢者である父親がいて、介護認定を受ける予定ですが、何となく介護認定=年寄りというイメージがあり、本人は受けたがりません。

ある意味で、その気持ちも分からなくありませんが、申し込みからサービス開始まで目安として最短でも1ヶ月くらい掛かります(実際には2ヶ月以上になることも)。

つまり、サービスを利用したいと思っても「介護認定」が済んでいなければ、肝心な時に利用できません。

ココが意外なポイントなのです。

と言うのも、子どもを預ける場合に比べて、高齢者を見守るサービスは「介護認定」無しでは利用が難しく、半日程度なら可能でも、1日とか数日になると家族の行動が制限されてしまいます。

同居する家族が、「仕事を休んで家にいなければいけない」と言うことが介護認定を受けていないだけで起こるのです。

つまり、「介護認定」は実際に困難を感じて申請するものではなく、今までの生活に比べて不便を感じたら検討するべきなのです。

申請に費用は掛かりませんし、仮にまだ介護が必要ではないと判断されても、次回の申請ができます。

申請するか否かのポイントは、一人で日常生活が送れるか否かでしょう。

数日単位で考えれば、掃除や洗濯、入浴や買い物、ゴミ出しなど、できなければ問題になってくる家事ができることです。

特に男性の場合で、奥さんがあれこれと世話を焼いてくれていると、ゴミ出しの日や掃除機の使い方も分からないというケースがあります。

「介護」を考える前に、「基本的な家事」ができるように中高年の内から始めることも大切です。

「私がやった方が早く済む」で良いの?

慣れた人と初めてする人とでは、作業を終えるまでの時間も仕上がりも比較になりません。

だからといって、何でも慣れた人が頑張ってしまうと、老いた時に思わぬ結果を招きます。

例えば、家事をしていた人が認知症になり、家事に関わっていない人がまだ健康だったとしましょう。

認知症の世話を家事もしていなかった人がしなければいけないので、とても大変になります。

地域や近所の勧めに応じ、「介護認定」を申請できれば良いのですが、普段から役所などに行っていないと「申請」するのも大きなストレスです。

結果として周囲の助けが無ければ、認知症の家族を抱えて、生活苦になってもどうすることもできないと言う事態が起こります。

つまり、中高年を過ぎた頃からは、互いのためにも家事を分担し、また日ごろから手伝うなどして、自分一人でも暮らせる最低限のスキルを身につけておくべきです。

介護士はキツいし安いし働きたくない!?

確かに、一般的な介護施設に家族を入所させて、月額10万円から20万円くらいの費用を支払えば預かってもらえます。

確かに月額の費用は安いとは言えませんが、それで自分の時間が保たれるなら悪い選択とは言い切れないでしょう。

介護士として働いていると、「料金は支払っています」と言いたげに挨拶もしないで横柄な家族が面会に来ることもあります。

わざわざ、そんな態度を「挨拶くらいは…」と言うこともありませんし、「どうぞ、どうぞ」と笑顔で迎えるように心がけています。

なぜ、介護の仕事が異業種よりも安いのでしょうか。

それは世間一般の認識として、「介護」が簡単な仕事に見えるからでしょう。

扱うのは、主に衣食住なので、誰もが当たり前に行っていることという点も、「簡単」というイメージが付いたのかも知れません。

確かに医療行為を行う医師や看護師のように、素人目にも分かるような仕事が介護士から連想できません。

オムツ交換や食事の準備、飲食の補助、入浴支援やレクリエーションなどなど。

簡単に言えば、これらの作業を介護士が担うのですが、例えば「オムツ交換」について説明すると、単純にオムツを交換しているだけではありません。

排せつの量や時期を細かく記録し、健康状態を絶えず観察していて、場合によっては排せつを促す薬や運動、水分摂取など、日常生活の中でも変化を設けています。

さらに、陰部は感染症のリスクも高く、不衛生にはできないので交換時に必要と判断されると専用の洗剤液を用いて洗浄します。

一人の利用者に10分の作業だとしても、10名になると2時間の作業となります。

省くことができればそれだけ作業の負担は減らせますが、大変でもできる限り衛生的にと思って作業することで、細菌やカビによる皮膚炎、褥瘡を防止できます。

やっぱり大変な仕事だと思ってもらいたい一方で、いつかは自分自身も介護サービスを受けなければいけない時が訪れます。

「お金を支払っている」ということだけで、適切なサービスが受けられるとは限りません。

なぜなら、日々介護士は「きっちりと作業」してあげたいと思って頑張っているからです。

介護士だって体調不良もあり、休みたい時も出てきます。

しかし、誰かが休んでしまうと、残されたスタッフだけで従来と同じ質のサービスを提供できる程余裕はありません。

また、利用者自身も、期待しているサービスを受けることができず、何処かスタッフは忙しいそうで声も掛けられない」と感じるでしょう。

それが常習化すると、利用者の感情はどうしても内にこもりやすく、会話の頻度が下がればそれだけ認識機能にも影響があります。

割り当てられた作業が立て込んでいても、介護士は利用者と頻繁に話すのはサボっているからではなく、話すことで認知機能を維持してもらうように心がけているからです。

つまり、介護士がベラベラと愚痴を言うのは意味がありませんが、利用者が良いことも悪いことも含めて思っている感情を言葉にして話すということも大切な健康管理の一環です。

ここに示すような介護サービスを意識している介護士がたくさん在籍している介護施設ほど、利用者は笑顔で毎日を暮らせるでしょう。

仮に腹立つことがあったとしても、親身に寄り添ってくれれば、まだ我慢できるかも知れません。

一方で、「介護は決めらた作業をこなす」と誤解してしまうと、介護の仕事はとても簡単になります。

しかし、実際に利用者の立場になれば、呼び掛けても返事さえしてくれないスタッフばかりでは、生きていたいとは思わないでしょう。

介護の仕事をどう捉えるかで、それだけ「質」に変化が起こります。

介護の仕事を簡単な仕事と考えるなら、そんな仕事として始める人しか集まりませんし、施設がいくら理想を掲げても、とても従うことはできません。

なぜなら、ある人にとって心地よい時間を精神的にも肉体的にも提供するのは、プロの仕事が求められるからです。

何より、そんな風に行う介護に現役時代の内から知っておくべきだと思います。

中高年になって自身の老後を考える時期に、例えば1週間でも施設でボランティアができれば、介護の仕事に対する認識も重要性も簡単に理解できるでしょう。