「こうでなければ」という自縛から解放されるために

 「理想」の自分とは?

職種や年収、社会的な地域など、自分の思い描く理想が、誰にも少なからずあるでしょう。

でも、「理想の自分は?」と訊かれたり自問したりしたことで、たどり着いた「理想の自分」がどれだけ本当に必要なのでしょうか。

介護士という他人を世話する仕事に関わり気づいたことは、「面倒なことを助けて欲しい」というもの。

こみちは仕事を1つにした代わりに家事をしていますが、その1つが朝食作りと弁当作りです。

毎朝、5時くらいに目を覚まして、遅くとも5時半にはキッチンに立ちます。

コロナ禍もあるので、日常的に触れるものをアルコールぶきすることから始めます。

モーニングコーヒーを淹れて、ダイニングテーブルに腰掛け、二、三口飲んでから調理開始です。

簡単な料理しかできません。

サラダと炒め煮、スクランブルエッグが、今日の朝食です。

何が言いたいのかと言うと、この「朝食作り」が面倒なことなのです。

いつか、男性に向けて「家事をしているか?」という記事を書きました。

こみちもそうなのですが、男性は遠くの理想を語る傾向があります。

でも、「「今」をどう生きるのか?」はもっと大切で、特に高齢者にとってはそれが90%くらい優先されます。

その時に、「あとで」という言葉は「しない」ということと同じ意味で、介護士のスキルは「今、できる」に掛かっています。

つまり、いつかの遠い未来も大切ですが、その前に日常生活を整えていないと何も始められません。

そう考えた時に、「理想の自分」って中高年になるとどれくらい大切なのかという話です。

若い人を見て思うこと

こみちは格闘技というスポーツをよく見ています。

選手それぞれにドラマがあって、勝つことで夢を叶えていく姿に感動するからです。

「よかった。チャンピオンになったぞ!」

他人事ながら、自分のことのように嬉しくなります。

一方で、そんな体験に感化されて、自分でも何か目標を掲げようと思うこともよくある行動です。

でもここで注意したいのは、若い人にはこれから50年とか30年という長い時間が用意されています。

しかし、中高年のこみちに残されているのは、長くても20年、正味で10年ではないかと思います。

「理想の自分に到達する」までの時間ではなく、人生の後半を楽しみながら「生きられる」時間です。

じゃ、今何をしなければいけないのかと問えば、本当はこれから何か未経験で始めるという時期ではありません。

今から資格を選んで5年後にその資格を取得しても、恩恵を受けられる時間はそう長くないでしょう。

一方で、こみちのように活かせる資格を持っていなければ、「今の自分に何かできるのか?」に着目しなければいけません。

どう考えても、答えが出ないなら、その時に「活かせる資格」を考えます。

こみちの場合、少し「イラスト(似顔絵)」に力を注いでいて、とても有難いことですが、YouTube チャンネルの登録者数も「10」くらい増えました。

収益化まではまだまだ先の長い話ですが、ある意味、「絵を描くこと」を通じてこみちの生涯の仕事にしたいと思っています。