その視線に気づかないふりできますか?

 中高年になって感じる周囲からの「視線」

副業を本業に変えてはみたものの、どこか一本に絞る覚悟はできません。

ストレスが多かった介護の仕事から身を引いて、穏やかな日々になった一方で、将来的な不安も増えました。

介護の仕事を続けているから「安心できた」ということではないはずです。

本業へと格上げした「制作」の仕事ですが、別に依頼者の悩みを聞き出して形にするようなクリエイティブな作業は含まれません。

左から右、もしくは右から左。

決められた作業を、できる限りミスなく処理する繰り返しです。

それでも「報酬が得られるならいい」と思うか、「もっと自分がしたい仕事を探すのか」は、それこそその人の考え方でしょう。

もうずっと昔の話ですが、まだこみちが20代で、日々の仕事が目新しく、何か変化を続ける自分に感動すら覚えていた時期。

事務所には、フリーランスという働き方で働いている人がいました。

始業時間も関係なく、時には昼前にフラッと事務所に入ってきて、そこにいる人と何か言葉を交わしたりして、まだ若手だったこみちには「仕事、頑張ってる?」などと言ったりして、適当に空いているデスクを見つけて、「ココ良いかな?」と聞いたりもして、すぐにその場の雰囲気に溶け込んでしまいます。

「お酒はぬるめの燗がいい…。肴は炙ったイカでいい…。女は無口な、オットッと」

小声なのに何故か目立っていて、でもキーボードを扱う手さばきが3倍くらい速くて、まるで料理でもしているかのように手が動いています。

「あっちに出力していい?」

こみちの先輩に当たる人を見つけて尋ねます。

「例のポスター、もうできたんですか?」

「そうそう。明後日、印刷所にデータ回すみたいだよ。ポチッとな」

当時勤務していた事務所は、本当にいろんな人が働いていました。

だから、スーツ姿もいたし、私服で働いている人もいたし、同じスーツでも真っ白や黄色みたいに普通のサラリーマンっぽくない雰囲気の人もいて、だからフリーランスの人が入って来ても違和感が少なかったかもしれません。

「行ってきます!」

「いってらっしゃい。お土産よろしく!」

誰かが大きなバックを提げて立ち去る。

それを誰かが親しみある様子で見送る。

今から事務所を出て羽田空港からどこかに飛び立ち、現地で仕事が待っているらしい。

少し離れた「島」は、普段より人が多く、話ではデバックという検証作業員が集められているという。

時計を見ると、こみちも社外で取引先との打ち合わせ時刻が迫っていると分かった。

「〇〇の打ち合わせに行ってきます」

週に一度は定期的に会っているから、それほど緊張することもなく、カバンに資料を詰め込んで事務所を出て、エレベーターホールに向かう。

20数階のオフィスビルの8階に事務所があって、ホールに出るとさらにいろんな人がいろんな目的で何かしている。

こみちはただ下に降りたいだけだから、エレベーターの扉が開くのを待っていた。

「こみちさん、これもできます?」

「嗚呼、大丈夫ですよ。いつもの感じで?」

昔のことを思い出していると、急に今の職場の上司から仕事を頼まれた。

あの頃と違うのは、今の職場でフリーランスなのはこみちの方だ。

しかも、あの頃にいた彼らとは異なり、言われたことだけをしている。

「さっきのはできました?」

「こんな感じで大丈夫ですか?」

「嗚呼、いいですね」

「ありがとうございます」

仕事は決められた人から頼まれるとは限らない。

しかし、処理方法は大体同じで、多少の工程に差があるくらいだ。

「やり甲斐」など、自分で見つけなければ見つかるはずもない。

まして、いろんな仕事が集まって来た以前の事務所とは違う。

ただ同じ仕事だからこそ、淡々と作業できたりもする。

求められる仕事ほど、やり甲斐も大きいが精神的にも負担が増える。

「ねぇ、〇〇さんは?」

そんな会話が聞こえて来た。

「アイツはダメだ。もう来なくていいよ」

「まぁな」

正直、誰のことなのかはわからない。

でも何故か、手の震えを覚える。

きっとそれは、今の自分が作業員の一人で、別の代わりの人がいくらでも見つかると分かっているからだ。

仕事ぶりを褒められたから安心できるというものではない。

ミスを指摘されようものなら、本当に居心地が悪い。

企業秘密の部分もあって、こみちに説明されるのは作業で必要な情報に過ぎない。

だから、時々は本当に何のための作業なのか分からないこともある。

ふと、こみちの周りの人たちが、どう思っているのか気になった。

こみちにしかできない作業ではないから、ちょっとした時に感じとってしまった「感情」が、実は自分の存在に向けられてはいないかと思ってしまう。

迷惑になっていないだろうか。

でもそんな風に気を使いすぎると、社会に出て生きていけない。