大人になって感じる「器の大きさ」とは何か?

 「話し合い」の大切さと限界

妻と出会って、結婚して、思い返せば20年以上の歳月をたくさん「話し合い」して今に至っています。

幼少期から自分の考えを求められ、そのために何をどう話さないといけないか両親から強く求められたこみちと、一般的な家庭で育った妻とでは、それこそ「話し合い」も最初は上手く噛み合いませんでした。

なぜって、20代の頃は夜中に話し合いが始まり朝日が昇る時間になっても結論が出せずに持ち越しとなったケースも少なくありません。

そんな状況から妻は話し合いの前に資料を作るようになり、自身の発言に対する根拠を示すようになりました。

今ではいい意味で「話し合い」は長くても10分以内。

時に最近は妻の発言の方が力を持っていて、妻の意見に異論があるか無いかを問われる流れが一般的です。

そうなった理由の一つには、「結論」がどう決まったとしても、大きなミスではなく、目的や意図の差に過ぎないからです。

ただ、両親と暮らし始めて、四人で話し合いをするとなっても、両親が自身の考えを発言できないのを見ると、こみちたち夫婦がどれだけの時間を共有し、「言葉」を使って考えを示すという練習を繰り返してきたのかよくわかります。

「〇〇は〇〇では何のか?」

そんな問い掛けに、求められているのは「承認」か「反論」で、特に「反論」したいのであればその「根拠」を明確にすることです。

そこをあやふやにしてしまうと、「気持ち」の問題として軽視されるからです。

自身の意向とは関係なく、環境や状況の面から判断しても即答は難しく、もしもそれでも「承認」を求めるのであれば「条件面」の話へと話題は変わるでしょう。

「納期を遅らせる」「もう少し整えた状態で受け取る」など、「承認可能」な条件をすり合わせるのです。

これが「気持ち」の問題と捉えられると、承認の条件ではなく、一方的に「保身」から意見しているとなり、いわば両者の関係は対等ではなくなります。

例えば「そちらでは負担が大きいみたいだから、今回の件はこちらの「負担」で引き取ります」とでも言われたものなら、明らかに「貸し」を作られたような上下関係ができてしまいます。

これは誰かが言っていた話ですが、3度の貸しで呼び方まで変わるそうです。

「〇〇さん」だったのが「〇〇くん」となり、時に「〇〇ちゃん」と呼ばれて、最後は「〇〇」と呼び捨てされるのです。

だからといって「話し合い」で引けを取らないために、「一歩も譲らない」という姿勢を貫こうとしてしまう人がいます。

でも注意したいのは、両者の関係ばかりではなく、それを見ている周囲の評価も大切で、「そうだね。ちょっと荷が重いかもね。分かったよ。無理をお願いしたね」などと言わせたものだから、勘違いして勝ったつもりなっていても、周囲はその話し合いがワンサイドに終わったことを感じるでしょう。

大人の「力」とは何か?

最初に思いつくのは「お金」です。

話し合いで両者の関係が対等だったとしても、「ここの支払いはこっちで済ませるよ」と言われて「納得」した瞬間、それは3度の貸しで呼び方が変わるという関係へと進みます。

だからこそ「ありがとう。次回は奢らせて」とその関係が崩れないようにひと言を添えましょう。

ある意味、そんな笑顔の中でも会話でさえ、いろんなことに気を回すのは、「団らん」ではなく「商談」や「議論」、「会議」のような場所に近いからです。

それこそ、明確な上下関係ができてしまえば、その後はいくらおちゃらけても構いません。

でも、重要なポイントの時は、「上」の考えを尊重し、「下」はそのフォローを担うという間柄になります。

つまり、「お金」を上手に使える人は、「話し合い」でミスしても、挽回できる最終手段を持っているのです。

さらにお金の意味をよく知っている人ほど、「奢る」という意味を理解しているので、「ごめん。ここはこっちで払わせて。悪いね」とまで言います。

冒頭に「ごめん」と言ったのは、支払うことで「「借りを作られた」と不快に思うかもしれないけれど」という意味が含まれているのです。

そもそも、「奢られてラッキーだった」と思う人は知らない方が幸せかもしれません。

しかし、そうやって生きたお金の使い方をする理由は、一人ではできないことを「仲間」を集めて力を強くしたいという思いがあるからです。

つまり、会社を立ち上げても一人では風邪もひいてられません。

しかし100人の仲間がいれば、その時々に応じてフォーメーションを変えて、一気にいろんな仕事もこなせます。

そうするためにはどうすればいいのか。

その一歩が「お金」の使い方を見直すことなのです。

人の「器」が分かるのは?

絶対に「話し合い」と「お金」に対する意識は不可欠です。

中高年の仕事探しで例えば「資格取得」の必要性が問われるのも、ある意味で「話し合い」や「お金」の前段階に過ぎません。

なぜなら、「話し合い」と「お金」を上手く活用すれば、有資格者の才能さえも活用できるからです。

その意味では企業買収や合併で得られる効果と同じです。

例えば、あれこれと話をしていて、そこに優劣が発生するのかというと、大半の話では何も起こりません。

仮に起こったとしても、それは双方が「話し合い」や「お金」を武器に大人の駆け引きをした訳ではないでしょう。

例えば小さな会社だとしても、経営者はいろんな決断と責任を背負います。

それ故に、従業員に対して命令することもありますが、共栄するために経営者が考えた結果です。

それに対して話し合いしてもいいでしょうし、どうしても歩み寄ることができないなら従業員も考えて、そこで学べる技術や経験が残されているのか考えて、次の一歩を判断すればいいのです。

その意味では、話がこじれて、従業員から意見を言えないと感じたら、経営者は歩み寄り話を聞こうとしなければ離職されてしまいます。

特に有望な人材なら、正論にこだわるべきかも含めて対応しなければいけません。

これはもうかなり昔の話ですが、フリーランスをしていた頃に、地方の中小企業の経営陣と商談させてもらった時に、「話し合いができない」という話題は頻繁に起こりました。

漫談でもできる話術があるなら別ですが、経営者でも自分で話題をコントロールできる人はそう多い訳ではありません。

つまり、相手との言葉のキャッチボールの中で会話が作られます。

だから、この人とは話しやすいとか、思っていることが出てくるという場合、聞き手の誘導もあります。

特に、その人自身よりも、その人の周りにいる人を見れば、その人の「器」は何となくわかるものです。

立派に経営者として活躍されている人の中にも、妻には全く経営のことを話さないというケースもあって、また相談をほとんどしないとか、飲みに行った席で冗談ぽく話というケースもあります。

それだけ信頼できる参謀をつけることは簡単ではなく、特に人材育成のノウハウもそこで押し計れます。

社長の話と専務の話がまるで違うという会社は、その専務が社長の参謀ではないということ。

ワンマン経営になっているか、レスポンスの悪い経営になっている可能性もあるでしょう。

とは言え、こみちは本当に器が小さく、妻から「お前はお猪口か!」と突っ込まれます。

決断が遅く、考え込んでしまうからです。

こんなタイプは経営者には向いていませんから。