「料理」が苦ではない!?
性的な癖ではなくて、きっとこみちは「女性」として生まれていたら良かったのだろう。
男性に生まれたものの、「一家の大黒柱」と言う役目を担うほどの器ではない。
中学生の頃から、夕飯は一人だった。
必然的に「自分で作って食べる」が当たり前で、両親が夜中まで帰って来ないのだからぐれずに育ったものだ。
長閑な田舎だけど駅前の繁華街に住んでいたから、流石に都内とは比較にならないが、それでも真っ暗なってしまうような環境ではない。
いつかも書いたことがあるかもしれないが、将来は建築家を目指していた。
必然的に写真とか、美術にも関心を持っていたし、高校を出たら「東京」に行きたいと思っていたし、その後は海外での生活を夢見ていた。
そんな計画が狂ったのは、高校時代の受験で第一志望の学校に合格できなかったことも大きい。
ある意味で初めて「人生の挫折」だった。
理想とは違う学校に入り、一年の春は憂うつだった。
でも夢だった「東京」での生活を始めていたし、「建築家」としての一歩でもある。
ずっと昔、建築家を名乗る人たちには、数学者や哲学者も多かった。
というのも、「建築家」を技術者として見るか、芸術家として見るかは国によっても違うほど、その評価は大きく異なる。
こみちの場合、中学生の頃に夢見ていたのは「芸術家」としてで、実際に学校に通い始めて「技術者」としての心構えを学んで行く内に段々と心境にも変化が起こった。
実際、多くのクラスメイトは大手や又は準大手と呼ばれる大企業に入りたいと言っていたし、本当に真面目な連中ばかりだった。
その頃からこみちにはドロップアウトの癖があって、バイト先で出会った連中と親しくなっていく。
もう「建築家」になりたいと言う夢も薄れていた。
全く学部の違う友だちができて、それこそ「めぞん一刻」のような寮に住んでいた友人宅に行くと、年齢も性別も超えた人に会えた。
一方で、長期休みになると「職人」と一緒にいろんな建築現場で働いた。
瀬戸内海面した現場にも関わったし、都内の住宅工事にも行った。
色の変わったペラペラの布団で寝た時、自分は何をしているのだろうと思たりした。
当時の飯場にはどこから来ているのか数名の女性たちがいて、隣接していたこみちたちの小屋に出入りもしていた。
奥手だったから、こみちはそこで「女」を作りこともなく、夜は小説を読み更けていた。
窓の外から男女の話声も聞こえる。
声を聞けば誰なのかすぐに分かるが、そこで一々詮索しないのも「大人のたしなみ」になっていた。
仕事が休みの日、それでも女たちは顔を出す。
中には小さな子どもを連れて、職人たちにもすごく懐いていて、一見すると家族なのかと思えた。
こみちは学生バイトだったから、長期休暇の期間が終わる頃になるとそんな現場から去ることになる。
「またね!」
「ありがとうございました」
きっとあれは昭和と言う時代と、田舎と言う環境があったからこそ巡り会えた光景だと思う。
現代の現場がどんな風になっているのかは知らないが、きっともっとキレイな環境に違いない。
かなり話が脱線してしまったが、そこから社会人となって建築家とは全く異なる道を歩いて行くことになる。
面白いもので、中高年になって「介護士」となり、高齢者の世話をしてみて、こみちは家事が嫌いではないし、意外にも世話好きだったことにも気づけた。
この先、自分の仕事をどう見つけられるのかわからないが、これまでバラバラだったものがどこかでまとまり、形になって行けばと思たりする。
順風満帆という人生ではなかったが、いろんな出会いもあったし、妻にも巡り会えた。
今日も元気に生きなければ。