「プロフェッショナルとは何か?」の続編

 実はこの記事を思いついたのは別の出来事からで

様々な考え方があると思う話なので、安易に誤解や誤認を招かないように、一部を伏せて話します。

そもそも、このブログはこみちのような中高年の方が「生涯」にわたって働ける仕事に巡り合うことを目的としています。

それぞれの仕事の紹介もその一つですが、スキルアップやキャリア構築、さらには「プロフェッショナルとは何か?」も今後を見据えていくために欠かせないことと思います。

例えば、訴訟という裁判所で行うやり取りでは、当事者以外に代行できるのは原則「弁護士資格」を持つ人です。

少額訴訟など、司法書士にも認められるケースもありますが、「プロ」にのみ許された仕事です。

なぜ、そんなルールになったのでしょうか。

例えば、「お金を貸した借りた」で揉めている場合、お互いが自分の言い分を繰り返しても解決は見えません。

そこで、そもそも「貸した(借りた)」事実があるのか。

加えて、「返していないのか?」が問われます。

そのような流れが暗黙にあって、互いがその中で主張するという時に、「今まで世話をしてきた」とか、「親友なのに」とか、法的には考慮されない話題に多くの時間が使われてしまうと、話し合いは解決されません。

そんな時に、弁護士がつくことで、「流れによった」事実確認や、証拠資料を集めることができます。

つまり、これが「プロ」なのでしょう。

昨日の続きで言うと、「YouTube で「再生されること」が最上級の目的なのか?」です。

「プロ」がプロの技を披露しても、その凄さは100人全員が感じられるものとは限りません。

言い換えれば、趣味やアマチュアとして始めてみたからこそ、プロの凄さを感じられるということが多分にあります。

例えば、ある被告人の弁護を担当する弁護士が、「無罪」を主張したとしましょう。

一般人がニュース速報を見る限りでは、「犯人」に思えるような場面でも、「無罪」を主張することは珍しくありません。

それを見聞きすると、「弁護士はすぐに犯人の味方ばかりしている」と思う方も多いでしょう。

しかし、事前に決めたルールとして刑事訴訟法336条に「被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪を言い渡さないといけない」と記されています。

簡単に言ってしまえば、検察官が警察とタッグを組んで、事件に関する証拠や証言を集めなければいけないのです。

場所も時間も動機も十分に付合する。

でも誰も犯行現場を目撃していない。

そんな状況だけで、きっとこの人が犯人だろうと決めつけてはいけないというのです。

最も、被告人自ら「自首」することも可能ですが、順番としては立証責任は検察官側なのです。

つまり、冒頭の段階で弁護士が「無罪」を主張するのは流れに過ぎず、肝心なことは起訴に踏み切った段階でどれだけ立証に必要な証拠や証言を集められたのかと言う部分。

なぜなら、弁護士が無罪を主張しても、ルールに乗っ取って検察側で立証が進めば、その事実に対して釈明や誤認、誤解を逆に立証するのが弁護士の仕事だからです。

犯行に使用された凶器に、被告人の指紋だけが付いていたとなれば、少なくとも「凶器」に触れたという事実は証明されます。

きっと検察官は「なぜ、立ち去ったのか?」と訊ねるでしょう。

もしも相手がその場に倒れていて、しかも凶器に触れていた被告人が、もしも何もしていない状況なら、「救急車を呼ぶ」という行動もできたからです。

ここで大切なのは、刑事事件の流れではありません。

「プロフェッショナル」とは何かを考えることでした。

結局、共通した知識や技術があるからこそ、始めることができるということも少なくありません。

それ故に、社会規範や法律を遵守ことが重要なのです。

「ヒーロー」を作る方法

例えば格闘技に於いて、100人の選手を集めたとしましょう。

第1回戦として50組みを作り、それぞれが試合をすることになりました。

まず「本当に一番強い選手は誰なのか?」という目的でトーナメントを開催したのなら、組み合わせ次第で強い選手同士が潰し合い、場合によってはラッキーな選手が上位に食い込んだり、優勝してしまうこともあり得ます。

ただ、どんなに工夫しても、「本当に一番強い選手」を決めるのは容易ではなく、どこかでルールや段取りの中で、やむを得ないと納得するしかありません。

例えば格闘技は体重によって大きく結果が変わる競技だそうです。

つまり、「70キロ以下の選手しか参加できない」と決めたルールと「68キロ以下の選手しか参加できない」というルールでも、優勝者が変わってしまうのです。

選手によってベスト体重があり、それは成長期とも関係していて、「階級」が大きな意味を持っているのです。

「ヒーロー」を作りたいなら、その選手のベストなコンディションを基準にルールを決めていけば、もしも同じレベルの選手なら少し有利な条件で戦うことができます。

また、最近では「リング」と「ケージ」にも違いがあって、特に公平な立場で振る舞うレフリーが、「ブレイク」を入れるタイミングでも、試合の流れをコントロールできてしまいます。

体力を回復させる意図で寝技に持ち込み、こう着状態になった。

「ブレイク。さぁ、立ち上がって!」

とレフリーに促されれば、片方の選手の思惑は外れてしまいます。

一方の体力を回復させたくない選手にとっては、またスタートに戻れるので救われるでしょう。

それこそ、「ブレイク」が1試合の中で5回もあればそうでしょうか。

有ると無いでは、試合そのものが大きく変化しているはずです。

つまり、「公平」という前提であっても、片方に有利な条件を与えることは意図すればできてしまうのが現実です。

上手く活用すれば、「ヒーロー」を作り出すことも不可能ではありません。

ある意味、プロのエンタメとして観ているなら、「ヒーロー」と「ヒール」が壮絶な戦いをしてくれれば観ているファンは盛り上がります。

一方で、格闘技を純粋な競技として考えると、事前に定めたルールをもとに、どちらの選手が強いのか確かめたいと思うでしょう。

できる限り、不可抗力となってしまう要因を減らし、技と意地を真っ向からぶつかり合わせて、勝敗を決めるのも「格闘技」だからです。

しかし、オリンピックの100メートル決勝レースを見ても、一位と二位、三位の差は、時に数センチということもあります。

それ故に、ルールや方法を少し変えれば、「ヒーロー」にもなれれば、「ヒーロー」にしないようにもできてしまう可能性があります。

まして、対戦条件が大きく異なる選手同士で試合を組むというなら、より純粋に「強さ」を競わせるのか、全く別の要因を加えて、片方に有利な状況で試合するのかは、多くの一般人には背景も理解できません。

勝敗を見て、「こっちの選手が勝った」と思うでしょう。

「ヒーロー」を作ることはできます。

しかし、「ヒール」側にも実は物語があって、それを知れば「ヒーロー」になり得たりするのです。

特にエンタメ的な演出では、「ヒーロー」が強敵を倒すことが一番盛り上がりますし、そんな構図が好まれます。

でもそんなエンタメ的な演出を望まない人もいるはずで、自分だけが「担がれている」状況を嬉しいとは思わないです。

茶番に見えてしまうのは、担がれていても気づかない選手や、その関係者が平気で「ヒーロー」を名乗ってしまう時です。

演出された試合や勝敗に感じてしまうと、本当に実力で勝利しても、「ヒーロー」だからねと思ってしまいます。

こみちのように中高年で、仕事を探したいと思っている人がいても、結局、自身の頑張りは報われず、親しい間柄の人が優遇されるという社会に思えると、やはり失望感はあるでしょう。

大きな企業や影響力の強い組織ほど、公共性が求められるのは、社会が偏った価値観で動いてしまうからでしょう。

少し前に知ったニュースも、後から背景が分かって、印象が全く変化したという経験をしました。

でも中には、最初のニュースしか知らない人もいるはずで、その人はずっと事実を誤認したままです。

「プロフェッショナル」の役割は、どうしても偏ってしまう一般人に対して、適切にサポートできることでしょう。

それそこ、「本当に安全な食べ物は何か?」を考えた時に、ルールを度外視した農薬や栽培方法では、食の安全は保てません。

それが守れてこそ「プロ」の生産者なのでしょう。

やはり、幻想を真実に置き換えるのは、エンタメに許された技法で、すべての場面で使われる手法ではありません。

ヒーローは作られるものではなく、登場するものなのでしょう。

個人的にはそう思います。