やっぱり「怖い」と言う感覚がある

 「介護職復帰」への準備

施設介護と呼ばれる介護施設を利用者する高齢者を支援する介護職員として働く仕事は、正直なところ望んでいない。

利用者たちはとても温かく、休みがちになっていたこみちが出勤した時は本当に笑顔で迎えてくれる。

一方で、休日が続いた後、施設ではいろんな所で矢継ぎな仕事の跡が残されている。

備品の補充や整理整頓など、いつもなら用意されている物が無くなって、何か始める時は「準備」からとなることが多い。

リネン交換を担当していたスタッフが退職した後、こみちたち介護職が仕事の隙間を作り各部屋のシーツ交換も行う。

考えただけでも、想定される多忙な仕事量に気が滅入る。

「復帰」にこだわるのは、介護福祉士の登録要件を確実に満たしたいからではない。

場合によっては、試験さえ来年受け直し、今後は100点越えを狙ってもいいほどだ。

ただ資格はあって邪魔にはならないから、折角なので今回で終わりにしないのは本音でもある。

介護の仕事は、24時間365日、年中無休が基本だ。

なぜなら、利用者が施設で暮らしているから。

雨も雪も台風も関係ない。

公共機関が止まるような時は、別の手段を取り、何らな数時間掛けても歩いて来たり、前の日から施設で泊まったりと、勤務に「穴」を空けることは厳禁だ。

なぜなら、予定された仕事量があって、それを欠勤スタッフ分、誰かがカバーすることになるから。

本来なら、5人のスタッフが4人になった時、仕事量が1から1.25倍になる。

しかし人材育成が不適切な環境だと、あるスタッフの欠勤で残った誰かが丸々背負うなんでことが起きる。

つまり、2倍になってしまうのだ。

なぜそんなことになってしまうのかは、出勤するスタッフによっては行えない作業があって、ある意味で一通りできるスタッフを「一人前」と呼ぶなら、半人前のスタッフが増えている。

求人募集を出しても、経験者が入って来ない。

未経験者を手取り足取り教えている時間がなく、入職して3ヶ月経過しても、お茶出しと一部の利用者のトイレ誘導では仕事が回らない。

しかも、他部署の離職が出ると、今まで任せていた仕事が一時的と言いながら、数ヶ月も当たり前のように続いている。

その内、室内の清掃や照明器具の点検管理、ありとあらゆる作業を現場スタッフが担うのではないかと言う風潮なのだ。

気が重い。

しかも昇給もないし、有給休暇も断られた。

で、仕事量の見直しは行われない。

どこに義理があるのかと思うが、それでもできりなら今月末までの勤務は果たしたいと気持ちで思っている。

ところが、出勤を見据えた期日が近づくと、また昨夜も興奮なのか不安なのか眠れなくなってしまった。

結局は午前3時過ぎまで起きていて、寝付いてすぐにまた目が覚めて起きてしまった。

今日、かなり厄介なトラブルを代行するために、ある人物と会うことになっていた。

ところが、その相手から昨夜連絡があって、予定をキャンセルしたいと言われた。

理由はコロナ感染の疑いでPCR検査を受けて、その結果待ちなのだと言う。

確かに都内では毎日1万人を超える人々が罹患しているので、そろそろそんな場面に遭遇しても不思議はない。

不安な気持ちを紛らわせるように、今はハイペースでイラストを描いている。

でも、近年は一枚のイラストを描くだけでは不十分で、アニメーション映像のように動くことや、ストーリー性が求められる。

「一枚の絵を描かれても」

そんなコメントを受けたこともあって、「動画かぁ」と思っていた。

興味はある。

でも一枚のイラストとは違い、動画を作るには何枚、何十枚の絵が必要だ。

それだけ制作時間もかかる。

そこにニーズが隠れていると思いつつ、腰が重くて踏み出せない。

何もかもが中途半端になっている。

一度は消えた胸あたりの圧迫感が、今朝ははっきりと感じられる。

呼吸する時に少し大袈裟にしないと吸えていない感覚だ。

ため息のような息を吐き、何か急に数日前の手が震え出す時に感じた感覚になってきた。

ここを乗り越えられるかがポイントだ。

不安はある。

でもここを越えないと、こみちの未来、家族の未来も失われてしまうように思える。