「お金」を稼ぐことで得られるもの

 「労働」とは何か?

中高年になって感じるのは、「時間」や「健康」の大切さ。

こみちの場合、20代の頃はそれらが「無限」や「永遠」に思えていました。

時間や健康に対する意識の変化で変わったことがあるとするなら、「労働」もその一つでしょう。

労働にはいろいろな意味や目的があるように感じますが、例えば「経験値」や「苦労の乗り越え方」など、他にもたくさんのことを教えてくれます。

心を壊しかけて、今の生活が無価値に思えて、そして生きる意味や価値について考え始めて、改めて「働けること」の大切さにも気付かされました。

例えば、3食食べる以外、特に何の義務もない生活を過ごしても、1日は1日としてカウントされます。

つまり、10年続けたとしても、変わるのは確実に10歳老ける自分ということです。

まだ若い世代であれば、10代半ばで20代半ばになったとしても、そこから将来を見据えて生きるならいくらでも挽回できますし、小さくて自分が望むような生活環境を手にすることができるでしょう。

ところが中高年にとっての10年は、かなり大きな意味を持っていて、多くの事柄で選択肢を失います。

全く関係ないことですが、こみち夫婦、ヨウムというおしゃべり好きな鳥を飼うのが夢でした。

アパートに住んでいた頃は、鳥の鳴き声を気にして飼うことが出来ず、いざ一戸建てに住み始めても、その時には何やかんやと忙しく、いざ落ち着いた頃には鳥の寿命が40年以上と聞き、最期までお世話できないと諦めました。

飼えなくなったヨウムなどを引き取ってくれる支援団体も存在するみたいですが、最初からそれを目当てに飼い始めるのも変な話で、こみちの人生にとって「ヨウムと過ごす暮らし」はもう実現不可能です。

逆にサラッと言いましたが、こみちの人生が「もう40年」残っていないということです。

そう思うと、1日をどう過ごすべきかは、誰のためでもなく自分のためにも真剣に考えた方がいいでしょう。

「労働」によって、人は生きることを強く実感しますし、対価を得られればそれが新たな一歩を教えてくれます。

数日間、(介護職から距離を置き)のんびりと過ごすことで、精神的な回復が実感できます。

今は、何だかあの職場でまた働けるような気持ちにすらなるのだから不思議です。

しかし実際には、稼ぐという意味だけなら他にも方法があって、介護の世界をもっと知りたいならそれこそ異なる環境で経験させてもらう方が得るものが大きいはずです。

それくらい何か懐かしく、美化された過去になっているように思えますが、正式に退職届はまだ出していませんので、タイミングをみて双方にとって意味ある方法を選べたらと考えています。

午前中、電験3種という電気の管理者となる資格について調べていました。

とても人気がある資格ですが、かなり難しいと評判です。

もしもその資格を取得すれば、それを機に眩しい未来を掴めたらと思ったのですが、そうはいきません。

どう考えても実務経験が問われ、介護の仕事以上に5年くらい頑張らないと一人前になれない雰囲気です。

もちろん、やり方はいくらでもあるはずですが、生きる上で「私の仕事は〇〇だ!」と胸を張りたいなら、どんな仕事を選んでも5年、10年と続けなければいけないのでしょう。

「お金」がもたらすもの

お金も万能ではありません。

それは叔母の生活を見ても言えることです。

健康であることが伴わなければ、折角のお金も使うことができません。

そのためには、身体はもちろん、精神的にも健全でないと、明るい未来を望むことも叶わないでしょう。

とは言え、お金が持つ価値は偉大で、その一つが「代行」してもらうこと。

サービスを受けることを意味しますが、少し身体が辛い時に、今は休んで回復したらその時に頑張る。そんな「代行」も、お金にできる機能です。

また、自分だけではできないことが、例えば学習のチャンスや新たな物を手に入れることで始められたりするのも忘れてはいけないお金の機能でしょう。

ぼんやりと休暇を取るために自宅で過ごしていると、健康の大切さと同時に「お金」の価値や使い方に考えが及びます。

明日を希望ある日として迎えるためにも、「働けること」「稼ぐこと」、その先にある「お金」が与えてくれる可能性にあやかりたいものです。