中高年のこみちが優先的に考えるべきこと

 社会構造の変化に意識を変える?

「正しい」とは何かという答え探しが、昔とは異なってきた。

例えば話として、あるYouTuberが別のYouTuberを評価する時、登録者数を尺度にしていると聞いたことがある。

1万人のユーザーを持つ人は、10万人の人には敵わないけれど、3000人の人には上から目線でいけるという感覚だ。

「登録者数」という数字は、とても明白だし、それが価値観の全てにしたい気持ちも頷ける。

しかし、例えば高齢になって介護が必要になった時、人によってはトイレを一人で使えなくて、介護士が手助けする。

さらに加齢が進めば、オムツをつけて、その交換まで介護士任せだ。

いい介護士に当たれば、気持ちよく交換してくれるだろう。

では、そうではないスタッフに当たったらどうなるだろう。

つまり、若くて健康な時はいろんな考えがあって、そこに価値や目的を重ねることができる。

しかしいつかは誰もが老いていき、誰かの手を煩わせながら生きていく。

じゃあ、適切な介護料金を支払えばいいのだろうか。

結局、どんなにお金を稼いだとしても、何も持たない素の人間に戻った時に、幸せでいられるかは誰にも分からない。

そんな風に考えると、何が正しい考えなのかはとても狭い範囲の結論で、そもそも誰もが老いには逆らえない前提から話は始まっている。

ある意味、「老い」を持ち出すと全ての結論が破綻するから、「健康で何でもできること」を前提に話は始まる。

今、こみち家には認知症状が疑わしい父親がいて、ご飯を見てパクパクと食べている。

それを食事の介助なしで「家族として楽だ」と考えるか、それとも「食べる以外に何かできないのか?」と考えるかは人による。

若い人の中にも何度説明してもできない人がいて、一回の説明で10まで理解できる人もいる。

じゃあ、10まで分かる人が優秀なのかというと、15までは分からない。

つまり「老いた自分」を本当に想像できるのかとなると、それこそ若い内にそこまで考える必要はない。

そうじゃないと「生きる意味」や「生きる価値」を見いだせないし、「結局は…」とそう面白くない結論を出してしまうだろう。

中高年になって、感覚として世界中に存在している1%に出会えた。

もちろん99%は知らないままだ。

でもその1%がこみちには全世界で、全ての答えはその中から導き出される。

仮に別の1%しか知らない相手と出逢ったら、カルチャーショックを受けるだろうし、何を話しても感情は伝わらない。

日本にいて、中高年と呼ばれるまで生きて、多くの人がタイミングこそ違っても同じような経験を重ねて、同じような境地に行き着く。

だからこそ、「若い頃にあれをしておけば良かった」と思うし、共感もする。

中高年はどこにでもいる「ただの人」!

あれこれと考えても、こみちの考えることは今の若者の足元にも及ばない。

そもそも対抗しようというのが無理な話だ。

つまり、誰もが思いつかないようなアイデアを求めても出てくるはずがない。

3日くらい徹夜続きでも働けた頃とは違い、少しでも無理をすれば2倍3倍で跳ね返ってくる。

昔ならできたことも、十分に準備して、慌てないことだ。

そんな風に考えた時、中高年のこみちが優先的に意識するべきは、「基本」や「基礎」に立ち返ること。

具体的には、今まで生きて来た中で経験したことをまずはどう活かせるのかを意識することだ。

今日、本屋で気になる資格のテキストを確認して来た。

もしかすると、今日から5年後、10年後に狙いたい資格を取得できるかも知れない。

でもその時には、今よりもうんと年も重ねている。

今以上に無理ができない年齢になっているだろう。

本来、自分探しというのは、体力も気力も残っている40代までに終えるべきことらしい。

ある意味、「中高年」からの未経験という話は想定外で、「あと少し」を完成させるためにある。

会社でも、40代後半になると出世よりも、退職までいかに残れるかだろう。

大きなミスをしないように、どこかで保守的で、若い人から見ると面白味がないと評価されるかも知れない。

でも、そこで若い頃のように会社の不満を遠慮なく撒き散らしていたら、そこに居づらくなってしまう。

じゃあ、そんな年齢の自分に何ができるのかとなった時に、痩せ我慢しても意思を貫き通す覚悟がるならいいが、そんな覚悟がないならそれこそ静かにしている方がいい。

「この人に言っても動いてくれない」

そんなおじさんが昔もいたが、今になって彼らがそんな風に動いてくれなかった理由もよく分かる。

こみちがポンコツな理由

日中、こみちはこれから目指すべき資格にどんなものがあるかを書店に並ぶテキストを見て確認して来た。

行政書士になればどんな未来が待っているだろうか。

電験3種に合格して、電気のエキスパートになれるだろうか。

まるで20代の若者が想像するような夢を見ていた。

でも、こみちはもう中高年なのだ。

5年10年先を見据えた大掛かりな仕掛けを仕込むには、少し遅すぎる。

その覚悟をしないと、ずっと不安で迷い続けるだろう。

あながち、以前こみちが想像した妄想で、全国の介護施設を巡りながら動画コンテンツを製作して暮らせないだろうかと思っていた。

施設内での模様を映像化するかは別として、例えば高齢者介護に携わった経験を発展させ、どこか一つの施設で勤めあげるのも方法だが、いろいろな施設を渡り歩き、その町の景色やお祭り、文化などを映像化できるという働き方もなくはない。

むしろ、今から行政書士を目指して3年5年を費やすよりも、もっと現実味がありそうだ。

電験3種を取って、この年齢で一から未経験で現場仕事をしていけるだろうか。

その覚悟ができるなら、介護業界でもいろんなことができるはずだ。

よくある間違いのパターンとして、次々と「ツール」を探してしまうが、実はツールではなく、問題解決こそが優先される。

ぼんやりしていたら、それこそ介護される側になってしまう。

あと20年余り。

長いようでそう時間があるとは思えない。

だからこそ、無駄な時間は省きたいし、時間を割くべきことにはじっくりと取り組みたい。

新しいものを探す癖をもうそろそろやめないと、器用貧乏で終わってしまう。