理想的な人生設計に惑わされないことも大切
若い世代の方から見ると、中高年の人は鈍く感じたりしませんか。
正直、こみちの自分が昔のように手早く済ませるのが苦手になったと感じます。
言い換えれば、それだけ「中高年」になると生活を変えることができません。
特に「あと一歩」というような場合でも、ズルズルと悪習を続けてしまう傾向にあります。
今日、早朝にご飯を作り、午前中だけ仕事をして来ました。
自転車で15分くらいの距離なので、電車の時刻を気にすることもなく、天気の良い日は軽い運動も兼ねているので良い感じです。
帰宅して汗を流すのはいつもの習慣で、さっぱりして自室に戻りました。
一階のリビングには父親と母親がいて、いつもの遅い昼食です。
「こみちも食べる? 焼きそば」
「いらない」
あまり会話もせずにコーヒーだけを持って逃げたのは、母親の悪い癖が助長されるからです。
もしも昼食を食べれば、次回は何も言わずにラップを掛けてこみちの昼食が用意されます。
これは昔から絶対に変わらないことなのですが、母親は母性が強いあまり、なんでも知りたがり、そして世話を焼きたがります。
それ故に、父親が何しようとすると「無理しないで」と先に言ってしまうので、自ずと父親は自分自身で「制限」を作ります。
「仕事しないの?」
そんな雑談を振った時も、「求人情報を見ている」と答えますが、応募したことはありません。
それは母親が「足が痛いんじゃないの?」と先に助け船を出すからです。
一方で母親は「父親が家でゴロゴロしている」と不満顔です。
しかし父親の前でそれを言うことはなく、もっぱらこみちへのアピールなのでしょう。
振り返れば、もう父親が最後の勤め先を辞めて10年以上になりますが、その間に自分で応募し、面接に行ったことは一度もありません。
それはつまり、母親が送り出そうとしないからでもあります。
「ダメなら仕方ないじゃない…」
そんな風に言われても、家の経済状態を考えて「働くよ!」と言えるタイプはいいですが、昼飯を食べてテレビを見て居眠りをし、夕方は自室で2時間くらい本気で寝て、誰かが夕飯を作ってくれた頃に起き出して食べる。
だいたい、夕飯の後片付けもこみちの担当なので、みんなの食器を洗ったりします。
その間も、横になってテレビを見続け、みんながリビングを離れてからも父親は寝るまでテレビの前を陣取っています。
こみちたち夫婦は、部屋に戻ってそれぞれ好きなことをしたり、今日あったことなどを話したりするのですが、妻は資産運用に夢中で、上がった下がったと一人でつぶやいています。
基本的にこみちも妻の儲けには興味がないので、「今日は〇〇円儲かった」と聞いても、「フーン、よかったね」と応じるくらいです。
なぜ、頑張れないのか?
皆さんも気づいていると思いますが、「努力」も「我慢」も一生は続きません。
イメージとするなら、階段状の「ステージ」が段階的にあって、人は困難を克服して一つずつ「アップグレード」します。
つまり、間違えた「努力」や「我慢」は、アップグレードに繋がらないので、時に一生続けても成果は得られません。
そんな人はきっと「人は良いんだけどねぇ」と言われるタイプです。
例えば父親も母親も生活面での「こだわり」がありません。
料理を作るとなった時に、食材や味付け、それこそ何でも良いのですが「どう? 美味しいよね!?」と言うようなトキメキが皆無なのです。
母親は器用な人ですが、残念ながらセンスがありません。
料理も味見を一切しないので、美味しい時と美味しくない時の落差があります。
しかも、「美味しい」にはパターンがあって、意外なスパイスを使ったなどの変化に乏しいのです。
一方で父親も出されたらそれを食べるだけの人。
時々、テレビで見た情報を話したりしますが、自分で作ることもしないので、両親との食事は「空腹を満たす」だけなのです。
だから、昼食はいつも二人とはずらして摂ります。
目新しい話題も出ませんし、何より食事の後片付けなど、時間と手間が一人の時よりも数倍取られます。
「どうしてもっと生活を豊かにしないのだろうか?」と思うのです。
何も豪華に暮らせと言いたいのではありません。
父親などは仕事も持っていないので、とにかく時間だけはあります。
だとしたら、例えばスパイスからカレーを作ってみるでも、人生を楽しむきっかけは幾つでも見つかります。
でも、父親も母親も「今の暮らし」で不満もないし、何かを変える工夫も望んでいません。
母親の作る焼きそばは、市販の麺を使います。
野菜と肉、焼き玉を使うのですが、なぜかソースは大量に余らせます。
理由は「塩っぱいから」です。
しかも味見をしないので、それは見た目に頼っての判断です。
食べた時に、全く味がしないということも珍しくありません。
もちろん、めちゃくちゃ美味くできる時もあるのですが、一度低評だったメニューはまず美味しくはなりません。
焼きそばを含め、「肉」を使った料理全般が不評です。
理由はシンプルで、母親自身が肉嫌いだからです。
カチカチになるまでどんな肉でも火を通してしまうので、それこそ安い肉でも、良い肉でも、美味しくなりません。
どんなに説明しても、母親は上手に肉が焼けません。
それでも時間が経てば、両親の昼食は終わります。
父親はお腹いっぱいになって、またテレビを見て夕方まで時間を潰すのでしょう。
お金がないのになぜ働かないのか不思議です。
昨日の話し合いの件でも、支払いで50、60万円くらいは必要になりそうです。
どうやって工面するつもりなのか不思議です。
ここだけの話、父親はついこの前まで叔母から「お小遣い」をもらっていました。
「妹」からもらうという感覚にも驚きますが、月に3万円から10万円くらいもらっていたようです。
それが少なくとも10年以上は続いているので、どれだけ貯金額が増えたのかと思ってしまいます。
これまで、気前良く父親がこみちに奢ってくれたことも何回もありました。
でもその時に支払ったお金は、父親が稼いだものではなく、叔母からのお小遣いだったということです。
そんな叔母のために50万円が必要になった。
でも父親は一切の支払いを頑なに拒絶します。
世の中それで通るはずがない。
でも父親だけでなく母親もグルになって、叔母のために何かすることを億劫がります。
巡り巡って、数万円の奢ってもらった食事代がいつの間にか膨れ上がり、50万円になってこみちに降り掛かって来たということです。
施設入所や入院費で、もうかなりの金額を出しているのに、さらに今回のお金。
さらには、働こうとしない父親の老後まで考えると、それこそ父親が「叔母は人様の迷惑を知らない」と語りますが、「自分は?」と聞かれて、「お金は叔母からの小遣いではなく、昔から貯めていた自分のお金だ」と譲りません。
でも叔母の貯金通帳が見つかった時に、父親へ15万円の仕送りが記録されていた月もあったほどです。
こみちが必死に貯金しても、結局は父親や母親みたいに刹那的な生き方をする人と関われば苦労します。
欲しいものを買い控えても、「こみち、お金が足りない」と言い出すのはいつものこと。
そして、受け取ってしまえば、翌日には「俺の貯金だ!」と言い出すのですから、困ったものです。