「風姿花伝」から中高年が学ぶべきこと こみちには見つけられなかった

 中高年のこみちが悩んでいること

いかなる仕事だとしても、求人募集に応募して採用されれば日常生活はどうにか維持できます。

しかし、仕事を覚えて問題点や課題が見つかり、その改善を試みようとすればそれが簡単なことではないと気付かされます。

それはつまり、その職を辞した後、職歴を有効に活かせる方法がとても限られていると感じさせます。

それはつまり、体力的にも精神的にも段々と衰えを感じる年齢になって、今までのように「仕事を続ける」ことでしか生きられないのは正しいことなのでしょうか。

読む前に「風姿花伝」で期待していたこと

こみちが世阿弥によって書かれた「風姿花伝」に、ある期待を持っています。

それが「中高年からの生き方」に対して答えを見つけることです。

例えば、どんな形だとしても、宝くじで10億円が当たったとしたら、こみちだけでなく多くの中高年は安心するでしょうし、「風姿花伝」に触れてよかったと思うでしょう。

一方で、「仕事とは何か」「スキルアップとは何か」などを延々と解説されても、結局は「求人募集に応募し働く」というスタイルは変えられません。

さらに言えば、世阿弥も足利義満に庇護されていた頃はよかったはずですが、その後の境遇は必ずしも望んでいた生活ではなかったはずです。

ただ、結果的に、世阿弥は「風姿花伝」をはじめとした書をいくつも書き残しているので、その功績は我々にとっても有益であることは疑う余地もありません。

それでも、こみちが知識や学術的な意味で「風姿花伝」に触れたいのではなく、今後を生きる中で何かヒントとなるようなきっかけを欲しています。

実際に読み進める中で気づかされるのは、確かに卓越された芸術への深い分析や研究でしょう。

一方で、広く調べる中で見え隠れする「大人の事情」もあったと言われます。

もちろんそれを全て否定しても、世を語る上では意味がありません。

しかし、それさえも超越するような技や方法を知りたかったというのが本音かもしれません。

世阿弥が「無常」として説いた言葉の中に、時の移ろいが持つ「重み」に触れた発言があって、その一節を読んだ時に「それを認めてしまうのか?」と驚かされました。

こみち自身も中高年になって老いを感じることが増え、若い人たちに能力や才能で上回っているとは思っていません。

むしろそんな中高年になったからこそ、自分のポジションを見据えて生きたいと思い始めました。

それだけに、「時の移ろい」を認めてしまう世阿弥の言葉がこみちには刺さったのです。

ここ数日、こみちなりに「風姿花伝」を読み進めてきました。

みなさんも、ご興味があれば手に取ってみるのもアリだと思います。

もう少し時間を空けて、また何かヒントを欲した時に、この「風姿花伝」を開くことにします。