650年以上の歴史を持つ 「能」という伝統芸能
「能」に詳しい方には申し訳ありませんが、こみちはこれまで何となく知っているつもりでも、その目的や背景などはほとんど知りませんでした。
それ故に、「能とは?」をいきなり紹介することは控えさせてもらいます。
ただここでは、「世阿弥」が書き残した「風姿花伝」の解説本に触れて、「能」はもちろん、演者として後世にも名を残した彼が何を思い「中高年」の時期を過ごしたのかに触れたいと思います。
とは言え、「世阿弥」が何者なのかもよく理解していないこみちですので、ウキペディアで歴史を調べれば、室町時代の初期(南北朝時代を含む)から室町時代の中期に生存していたことが確認できます。
室町時代が誕生した背景
室町時代の前は鎌倉時代であり、約150年も続いた時代を終えての室町時代となります。
鎌倉時代は源頼朝によって1192年に「鎌倉幕府」が作られてます。しかし実際にはそれは前半部分の話であって、後半は北条氏による執権政治へと移っていきました。
そんな鎌倉時代も、蒙古襲来をきっかけにその時代を終えるのです。
蒙古襲来とは、モンゴル帝国が九州北部から侵略を試み攻め立てることです。
そして、執権政治を行なっていた北条正村は執権を辞任し、時宗が対応することになりました。
しかし、鎌倉幕府はその対応に活躍した御家人たちに褒美を与えることが難しく、やがて権力を失ったという流れでしょう。
1333年、後醍醐天皇によって倒幕されたことで、北条氏の時代も終わります。
一方で、京都にいた後醍醐天皇は建武の新政へと動き出します。
それはつまり天皇を中心とした新たな時代を描こうとしたのです。
ところが、その内容は公家を重視するものだったこともあって、武士からの不満を集めます。
そしてわずか2年で新政は幕を降ろします。
当時ですが、政権運営に失敗した後醍醐天皇は京都を追われて吉野へと逃げ、皇室が南北で分裂してしまうという流れが生まれます。
これが室町時代の前期部分に含まれる約60年くらいの期間が「南北朝時代」ということです。
その間も様々な思惑があり、たくさんの命が落とされ、室町時代三代目将軍「足利義満」へと託されます。
彼の功績もあり、長く続いた南北朝時代が終焉します。
そして室町時代の中期を迎えます。
世阿弥が生きた「室町時代」とは?
こみちのようにあまり歴史的知識が乏しい人でも、関連する出来事をざっくりと見直せば、「世阿弥」が生きた室町時代の様子が分かるでしょう。
肝心な世阿弥ですが、彼の職業は猿楽師。
猿楽師とは「能」とも言われますが、朝廷の保護下にあった一方で、民衆の間ではモノマネや笑いなどをとる今で言う「お笑い芸人」のような存在だったのでしょう。
何より世阿弥の父親である観阿弥が一座を率いて、興行を成功させて言ったのです。
そして、室町将軍「足利義満」の目にも留まり、観阿弥、世阿弥親子は庇護されます。
つまり、スポンサーのような存在でしょう。
義満がなくなり、将軍が足利義持と代わり、その頃に「風姿花伝」も書かれたようです。
ただ義満ほどは義持から恩恵を受けることはできず、さらに足利義教の時代には弾圧されるという冷遇ぶりで、佐渡へと流刑されるまでとなっています。
「風姿花伝」とは何か?
簡単に言えば、世阿弥によって書かれた能の秘伝書で、その中身は能の理論を父親である観阿弥の教えを交えて解説したもの。
当時は秘伝書という位置づけであったこともあり、明治に入るまでその存在すら知られていないかった。
そして、様々な形で研究が進み、今に至る。
こみちが読んでいるのは、岩波文庫ワイド版「風姿花伝」世阿弥著であり、野上豊一郎、西尾実両名によって校訂された一冊となる。