お金がない!?

 生きて行くためには「キレイゴト」だけではダメ

気持ちとしては、介護の仕事で受けるストレスがとても辛いです。

ただ、現実的な話をすると、叔母の施設入所などで使ったお金や今後のコロナ禍、現金が必要になる場面がまだまだありそうです。

いろいろな方法を模索していたのですが、まず退職時期。

一番濃厚な線が、3月末。

場合によっては実質的に2月末になることもあり得ます。

さらに、現場への迷惑とこみち自身の精神状態を考えて、2月も出勤して少しでも今後の生活費に回したいところです。

3年間、お世話になっている職場なので、最後まで迷惑を掛けて終えるのは申し訳ない。

そんな気持ちがある一方で、「介護の仕事に行く」という日は前夜から落ち着きません。

今朝も午前2時ごろにハッと目が覚めて、1時間くらい意味のないことをあれこれと考えてしまいました。

できれば施設長に交渉ではなく、実情を伝えて相談させてもらおうと思います。

何より、難しいことを考えることができません。

父親の状態

叔母の件で父親はかなり認知が進んだうように見えました。

それで、全面的な交渉をこみちが引き受け、話し合いや金銭の問題など、抱え込んだのです。

その甲斐もあって、父親もホッとしているようですが、今後は母親の方から「お父さんの介護認定は申し込まないとダメなの?」と言い出します。

以前から、母親は「介護認定」=「高齢者」という認識のようで、父親に受けさせたくないみたいです。

もちろんそんな考え方を否定するつもりはありません。

しかし、働きもしないで1日テレビを観ている生活から、自分の食べた食器を洗ったり、掃除機でリビング周りを掃除したからと言って、それで今後の生活費が捻出できるものではないでしょう。

母親も父親も現状維持という言葉が好きで、今、段々と下降している状況を理解していません。

もしも叔母の件を両親だけで対応していたら、まだきっと解決できていないばかりか、様々な問題が起こっていたはずです。

高齢者との関わりで難しいのは、時にそんな大変なこともすっかり過去のことになってしまい、まるで今まで通りでもやっていけるように思い込んでしまいます。

叔母に支出した数十万円のことなど、もう忘れているでしょう。

さらに、今後も父親が働かないまま、そしていずれは母親も働けなくなった時に、こみち一家はどうなるのでしょうか。

精神的に苦しくても、介護の仕事をするしかないのでしょうか。

自分の心が本当に壊れた時、父親や母親はきっと「かわいそう」と言ってくれても、その分何か頑張ってくれる訳ではないでしょう。

だからこそ、身体を使って働けないなら、知恵を絞って生きて欲しいのです。

今朝も当たり前のように朝食を作りました。

父親は寝ています。

「また、目玉焼きかぁ」などと言いながら、仕方なさそうに食べるのでしょう。

こみちが今のままでは心を壊してしまいそうだと家族に告げた時、両親は「少し休めばいい」と言ってくれました。

しかし、父親が早起きすることもなければ、母親が内職の仕事を父親に勧める訳でもありません。

両親の収入は段々と減り、その補填をしなければ生きられない状況になっていて、何かを試したり、新しく始める資金を確保するのも慎重になってしまいます。

今は正直、資格試験を受ける試験代さえ惜しいくらいです。

お金が人生を決める上で、どれだけ大切なのかと実感させられるこの頃です。