なぜ生きなければいけないのか?

 苦しみしか感じない日常生活

正直、認知症か、せん妄状態の傾向にある父親は、以前よりも変な態度が増えました。

昨日はお風呂場に洗面器があるのですが、なぜかそこに衣類を水で浸したまま放置していたり、風呂を沸かしたと言いながら、その水量は半分以下で、以前なら満水で湯を無駄に流してしまうことも多かった父親からするとどこか変なのです。

しかも、「お父さん、どうやって風呂を沸かすの?」と聞けば、「そんなの分かっている」と言いますが、手順を説明できないばかりか言葉が全く出て来ません。

脇にいた母親が、いつものことなのですが勝手に口を挟み「パネルのスイッチを押すんでしょ!」と言います。

「お父さんに聞いているから」と制して、「そうだったの?」と母親もどこかチグハグな返答をします。

「パネルのスイッチを押す」

急に父親が答えました。

叔母と話している時はもっと辻褄が合っていなかったのですが、それと比較して父親はまだマシだっただけで、厳密には母親でさえちょっと受け答えが変に感じます。

この前も通販番組で安くなると思ったらしく定期購入を申し込み、毎月のように届く商品に、「どうなっているの?」と問い詰めれば、勝手に購入した挙句、父親からは「解約もできない」と騒ぐ始末。

排水管の悪臭を改善させる「粉」を何袋も購入したものの、今まで一回も使っていないで部屋に置いてあります。

「オイ、こみち、やってみろよ」

昔からそんな感じで、誰かにやらせて一人では本当に何もしないのです。

今、キッチンに行って、コーヒーを淹れました。

シンクには、父親が昼飯を食べる時に使った茶碗や食器が水にも浸されずに放置されています。

誰が洗うのか。

以前から父親は自分の食器だけはさっさと洗い、みんなの食器は残っていても全く意に返さず手伝うこともしなかったの人ですが、今は自分のさえ放置したまま寝室にこもり、それこそ晩飯を作ってもらえるまで4時間近く寝るのでしょう。

毎日、それだけ昼寝しているので、夜も遅くまでテレビを観ていて、個人としての生き方を尊重するならもういい大人なのであれこれ言いたくはありませんが、やっていることは随分と身勝手です。

もしも鬱やせん妄状態で助けが必要なら、それこそ健康的な生活を保つ意味でも改善が必要でしょう。

その意味では、父親を放置するのも仕方ないと言ってられません。

とはいえ、そんな父親の暮らしを守るためにこみち自身が生きているのかと思うとテンションも上がりません。

叔母の施設入所も目処がたち、相談員から挨拶を兼ねた連絡を受けた時も父親は電話出ることを拒否し、叔母の今後について挨拶さえできませんでした。

実の妹なのに?

そう思うと、父親に対して情けなさしかありません。

それではだめだ。もっと一緒に頑張ろうと迫った時は、「みんなには迷惑は掛けないから安心してろ!」などと言っておきながら、しているのは真逆のことです。

もしかすると認知などではなく、それこそ鬱傾向なのかもしれません。

確かに去年の春先、こみち自身も気づいていなかったのですが、こみち自身に表情や感情の変化がなくなって、妻を心配させてことがあります。

もしもそれが鬱の入り口だったのなら、それこそ本人では気づけないでしょう。

家族でも注意しないと、父親に起こる様々な異変に違和感を覚えて、責めるばかりになってしまいます。

でも、父親自身も心の落ち込みに気づいていないのなら、物忘れ外来とは別に、心理カウンセリングを受けてもいいのかもしれません。

こみち自身も決して順調ではないので、父親にどうしてもキツくなってしまいますが、父親も苦しいなら、どう苦しいのか話せたらいいのですが。

本当に言葉が出なくて、会話がとても単調です。

明日の天気やコロナの患者数で一喜一憂するくらいで、あとは洋画を観ているのかいないのか、ただジッと画面を見つめているだけです。

変化ない1日が過ぎるたびに、こみちは焦ります。

でも同じ家に変化を受け付けない父親がいて、その姿を見る度に理由のない焦りが強まります。

まだ生きることを否定したい気持ちになってはいませんが、こみちも生きる意味や目的を見失いつつあり、父親の暮らしを守るためだけに生きているのだとしたら、今のこみちは足を前に出せなくなりました。

恐れている家族崩壊が、そのままでは迫っていると感じます。