仕事が「ある」というありがたさ。

ダブルワークの強み

介護の他、制作の仕事もしているこみちは、与えられた業務を工夫しながら黙々と続ける働き方が好きです。

介護のように、それぞれの利用者さんといろんな話をするのも嫌いではありませんが、どちらか一方だけよりも自由度の高い働き方が理想です。

若い頃、それこそ遊びたい気持ちが強かった時は、仕事をしている時間が無駄に思えて、誰かのために貴重な自分の時間を消耗したくありませんでした。

やりたいことをして、気分次第でその場から立ち去ることも自由。

誰にも指示されず、兎に角好き放題できるという「状況」を理想と考えていました。

しかし年を重ねて気づくのは、「自由」過ぎると「進展」からは遠ざかってしまうという現実です。

若い頃、例えばその時の生活エリアが最寄り駅を中心に半径5キロの範囲で事足りていたとしましょう。

しかし、3年、5年、10年と限られた範囲の中で暮らしていると、「よく言えば熟知している」でも悪く言えば「変わり映えしない日々」です。

実際、中高年になると分かりますが、健康も永遠には味方してくれません。

気づけばどこかに不自由を感じ、例えばココに居続けてもそれさえ叶わない時が来ることに気づきます。

そんな時、「このままこの限られた範囲しか知らないままで良いのか?」と自問するでしょう。

ある人はそんな状況になっても動こうとしないでしょうし、ある人は新たな一歩を踏み出す決意をするでしょう。

きっと踏み出して見なかった世界や景色に触れた時、初めて若い頃に友人たちが必死で勉強したり、仕事で悩みながらも頑張っていたりした姿の意味に気づきます。

こみち家の父親は今日もリビングの一角で

例えば、こみちの父親は今日もリビングのソファーに横たわり、観ているのかいないのか分からないテレビ画面だけが騒いでいる横で、居眠りをしています。

「お父さんはもう働かないの?」

きっとそんな風に問い掛けられたら、何か強制されたような気分になって怒り出すかもしれません。

でも、ここまでの話を聞いて、こみちがそればかりを問うていないことを皆さんなら分かってもらえるでしょう。

確かにもう身体のあちこちに不具合があって、表を歩くのも随分と億劫になってしまっていたとして、でももう若い頃のような健康には戻れません。

今が一番若いからです。

だからこそ、そのまま寝て老いてしまうのか、自分の足で歩こうとしてみるのかの瀬戸際なのです。

そう思った時に「若い頃のようにはいかないけれど、今の自分でもできそうなことがないだろうか?」と思える晩年と、母親を今でも働かせてご飯の用意からこき使い続けて、それこそテレビの前にいるだけの人生とでは満足度が違うと思います。

でも、人は同じように考えませんし、ぐうたらとどんなにその状況が続かないと知っていても、本当に誰かが妨害でもしない限り動けない人はいます。

父親は実の妹が施設に入るという時も、何も挨拶しませんでした。

「何か話したら?」と促しても、「いい」と断った人です。

父親と妹が子どもも頃どんな思い出を作ったのかこみちは知りませんが、施設に入って簡単には面会もできなくなる中で、「何も言うことがない」と言ってしまう人柄に、憎しみ以上に結婚した母親を不憫に感じます。

今でも忙しなく働き、食事の用意さえできない父親のために、昼前に仕事場から抜け出して、ご飯の用意をしていたこともあったりして、流石にやり過ぎだとやめさせましたが、そこまで依存し合う夫婦仲もこみちには理解に苦しみます。

それが夫婦なのだと言ってしまえばそれまでですが、全く動かない「ヒモ」の父親と尽くして尽くしてボロボロになってもそれだけを幸せと思い込む母親。

二人がそれで良いのなら、それもまた人生なのかもしれませんが、母親も仕事を続けるのが困難になり始めて、結局はそんな母親だけでなく、怠け者の父親をそのままの状態で子どもが面倒をみることになるのです。

そうなるなら、母親が良くても、父親はもっと前から仕事を見つけて働くべきでした。

今の生活も母親が尽くし続けて成立していただけで、それをこみちが引き継ぐつもりは無いからです。

でも二人の会話を聞いていると面白いもので、父親が母親に「世間とは?」なんて語っていたりします。

テレビで見聞きした話を、まるで自分の経験談として話し、それをまじめに聞いている母親がいて、夫婦は本当に他人には理解できません。

認知症ではないと言い張るものの、さまざまな困難には一切目を向けたりしない父親。

それこそ叔母同様に父親も施設に入ってくれたら、母親の負担はかなり減ります。

母親もおちおちしていたら、老後も楽しめないまま老けてしまうでしょう。

「お父さんの世話ばかりの人生だったわ」

それで良いのならとやかく口を挟みませんが、中高年になって老後を考えることが増えたこみちにとって、父親の生き方も母親の生き方も真似たいとは思いません。

仕事があって、働けることで喜びを感じます。

なぜなら、そこからいろいろなことが繋がっているからです。

今、父親が母親に「オレは介護認定など受けない!」と声を荒げています。

仕事はしない。家事もしない。そして介護認定も受けない。でも飯は食う。

「俺は老けてなんかいない!」と。

どう思いますか。

叔母の施設入所でこみちたちが支払ったお金も忘れて、叔母の不動産の件も放置して、母親が腰を痛めて辛そうにしても全く助けようとはしない父親。

認知症とは単純な物忘れではありません。

話の辻褄が合わなくなり、一人で不満を抱えて怒り出す状態です。

母親に暴力でも振るうようになったら、それこそ施設入所でしょう。

家に居るとストレスが溜まります。

仕事をしている時ほど、未来を感じられる瞬間はありません。

寂しい。