「音楽」が教えてくれる「仕事探し」の本質

 無意識に選ぶ物

どこかで聞いた話だが、「無意識」に人は「選択」しているらしい。

それがどこに理由や原因があるのかは別問題だけど、「身につけたい」と思うからこそ手を伸ばす。

「やればできる」というタイプはいる。

こみちは無茶苦茶不器用で、何をしても時間が掛かる。

その分だけ、長く観察するし、研究もして、一歩ずつ進んで行くタイプ。

その意味では、「絵を描く」ことくらいしか継続できていない。

他にもしていることはあるけれど、それこそその理由や原因が気持ちのどれくらい深いところから来ているのか調べられたら、「絵」ほど深い趣味は見つかっていない。

でも、この「無意識」に欲している物があるって大切。

「音楽」といえば

音楽には、声、楽器、そこから溢れる「音」が重なり合って「曲」になる。

無意識に聴きたくなる「曲」ってあるよね。

こみちは「あいみょん」さん。

昨日の夜中、イラストを描きながらふと聴きたくて聴き始めたら、今日も朝からずっと聴いている。

曲というか彼女の声がこみちの心に沁みるんです。

「歌が上手い」という話になった時に、絶対に出るのが「音程」。

でも、カラオケが上手くても、人を感動させられない人は多い。

むしろ、「感動させること」ができたら、迷わず「プロ」になるべきだ。

ここでいう「プロ」とは、単に仕事として稼ぐではなくて、「その才能を世のため人にために使うべき」ってこと。

仕事や日常生活で、疲れて、怖くなって、生きるのって大変だなぁと心がガクンと落ちて、「苦しいなぁ」って思っている時に、こみちは「イラスト」を淡々と描く。

その瞬間は、何もかもから解放される。

そこに「あいみょん」さんだった。

「音楽」って凄いねよ。

「仕事探し」も同じこと

中高年になると、掃除や警備、介護の求人が増える。

でも、そのどれもが本気で取り組めば、とても奥が深くて大変な仕事だって気づく。

片手間なんかでできる仕事ではない。

でも中高年に多くなるのは、「誤解」があるから。

作家、三島由紀夫だったと思うけど、「作家以外の仕事ができるなら、それを選べばいい」と言っていた。

その言葉をどう理解するかは人それぞれだけど、こみちには「作家しかできない人が作家になる」と思った。

きっと、仕事を辛く感じるのは、本当の自分とは違う自分になりきって働いているから。

でもそれができる人は、それでいい。そのままでいい。

じゃできない人はどうすればいいのか。

作家は作家になるべきで、歌手は歌手として生きればいい。

掃除や警備、介護の分野で生きられるなら、それに浸かってみるのも悪くはない。

こみちみたいに3年はできても、少し重荷になってしまったなら距離を取るのも方法だ。

もしもこの先、また介護に関わりたくなったら飛び込んでみればいいし、別の何かで生きる道を見つけられたならそれもありだ。

でも人は生きていかなければいけない。

いやだからと言って、仕事をしないで生きてはいけない。

いけたとしたら、それはもの凄い代償を支払っていることに気づくべきだ。

特に「年を取る」という代償は取り返しがつかない。

20代の頃に100の選択肢が用意されているなら、中高年になると20から30だし、50代60代になれば10以下になってしまう。

というのも、それだけ可能性がなくなったのでは無くて、「その人なり」が固まり、進むべき方向が定まってきたということ。

それこそれ20代は何でもできるし、何色にも染まっていない。

それが経験を重ねて色がつき、やがてその色が深みになり、気づけば他の色にはなれないと気づく。

ただそれだけ。

例えば介護の仕事は「白」だけじゃない。

「黒」を超えて「漆黒」のような「闇」まである。

こみちだって3年の間に、何人もの人と別れを経験した。

もしもその施設に入職していなかったら、生涯話すこともなかった出会いだ。

でも、彼らからいろんな言葉を聞き、考えさせられてこみちは成長した。

中高年に介護のような仕事が回ってくるのは、まだ色数の少ない若い人では見えない景色もあるからだろう。

そう思うと、掃除や警備にも似たような理由があるのかもしれない。

いずれにしても、仕事探しの最初の一歩は、今の自分と正直に向き合うことだろう。