やはりこみちが「介護職」を辞めたい理由

 働くために「生きていない」!?

ある時から、気付くと「働くために生きている」ような感覚になります。

家族を養っていたり、ローンを組んでいたり、何だかんだと言っても働くしか無い理由はあるはずです。

しかし、それが事実だとしても「働くこと」が人生の唯一の目的ではいけません。

というのは、介護施設で働いてみて、確かに温かい人やこみちのような人でも助けてくれる人はいます。

一方で、相変わらずの人もいて、それだけ同じ「スタッフ」でも、人間性はかなり異なります。

久しぶりに働いて感じるのは、やはり「この人とは仕事したくないなぁ」と思える先輩スタッフが複数名いて、それこそ幾らかの報酬を得られるとしても、それによって受ける精神的なダメージを考えると「介護職を辞めたい」になってしまいます。

それこそ、「介護福祉士」の試験を受けたことが、「介護職」としての終わりで良いはずです。

中高年だからこそ「刹那的に生きる」

本当に毎日を刹那的に生きるには、周囲の人に助けてもらえる人でないと、生活はすぐに一変してしまいます。

片付けができなくて、テレビで観たことがあるようなゴミ屋敷になっていた叔母の家を見て、父親は「情けない」と評しました。

でもその言葉を聞いた時、こみちは共感できませんでした。

なぜなら、父親はほとんど掃除もしませんし、料理も作りませんし、トイレ掃除もゴミ出しもしません。

機嫌が良かったり、誰かが見ていたり、何かイベントのようになっていたら、急にやる気を出すこともありますが、それだって家族のためではないのです。

もしもゴミを出してくれなかったら、「今日は乗らないし」という気分なら、一つ二つとゴミ袋が溜まります。

もう10個を超えたりしたら、どこかの一室をゴミ置き場にしてしまうでしょう。

加齢と日ごろの運動不足があって、父親は膝を痛めました。

以前は動かないことで増えた体重の増加を膝痛の原因だと指摘したこともあります。

しかし、間食を止めるわけでも、大盛りご飯を控えることもしませんでした。

その結果として、今は100メートル歩くこともしたがりません。

こみちが、精神的にいっぱいいっぱいになって、油断すると手が震え出してしまうほど、身体に異変が起こった時、「仕事を少し控えようと思う」と家族に伝えました。

それによってこみちの収入は減ります。

妻はそれらを含めて「ゆっくりしたら」と言ってくれました。

父親も同じように「休めばいい」と言います。

しかし、こみちが苦しいと訴えた時でさえ、洗い物を代ろうと言い出しはしませんでした。

誰かがご飯を作るまでテレビを観て待ち続け、できたものを感謝もしないで食べ始め、さっさと食べ終えた食器をキッチンのシンクに運びます。

母親は「運んでくれた」と、食器を運んだことに何か感謝を示し、父親に「みんなの食器を洗って欲しい」とは言いません。

もしもそんなことを言ったら、父親は何も言わずに自室に篭り、明日の朝まで不貞腐れるでしょう。

こみちにすれば、たとえ半日でも勿体無い時間を過ごしていると思ってしまいます。

しかし、父親にすれば、もう時間を持て余していて、何かを成すために時間を使うつもりはないのです。

もちろん、誰かのために我慢したり、苦痛を受けたりするつもりなどさらさらないのです。

正直言って、こみちはそんな父親を見ているとストレスです。

働いて欲しいと思います。

しかし、父親は20年以上前に勤務していた職場に「再雇用できないかと連絡した」と言いました。

そもそも、連絡したことが事実なのかも定かではありませんし、仮に連絡しても採用されるはずはなく、またされたとしてもそこまでの道中を考えると勤務できるはずもありません。

ある意味、それだけのマージンを取っていて、でも「就活しているアピール」はします。

こみちが介護施設で働いて帰った時、もうクタクタで一歩も歩けないくらい疲れている時に、父親は大袈裟に足を引き摺るような歩き方で、灯油タンクに灯油を入れたりします。

その行動にある「アピール」が、こみちには強いストレスなのです。

動かないのもどうかと思いますが、相手の感情が動くことを見越してアピールしている人間性に疲れます。

叔母を施設に入ってもらう時、飼い犬が高齢で徘徊するようになった時、父親は「捨ててしまえ」という意味合いの言葉を発しました。

施設に入る前日、叔母は電話を掛けてきて「身体を大切にしろ」と父親に連絡してきたのです。

それがどういう意味を持っているのか父親には理解できないようです。

こみちが助けて欲しいと訴えても、父親は自分を変えられないように、それこそ刹那的に生きるしかできません。

でもそれが一番楽に生きる方法です。

生きることに価値や目的があるのかは分かりませんが、苦しい時や大変な時は、そうするのも方法です。

父親の場合、先にその手を打ち、家族は今の生活を維持するために「働くこと」を辞められませんでした。

でも、父親が居ようといまいと関係なく、苦しい時は逃げ出せば良いのです。

刹那的に生きていかないと、自分が壊れてしまうからです。

日付としては昨日になりますが、それこそ介護福祉士の試験を受けた1日以上に苦しく長い1日をこみちは乗り越えました。

本当に逃げ出したかったですし、乗り越える意味があるとするなら、それは周囲に対する示ししかありません。

しかし、職場の雰囲気も変わってくれませんし、変えたいとも思えません。

家に帰っても父親はテレビを見て、うたた寝をし、誰かご飯を作ってくれるまで待っています。

そんな状況下で、無理する理由などありません。

あるとするなら、自分の都合に合わせて必要なら頑張れば良いですし、先送りできるならそれもありです。

あまり考えても変わらないので、こみちは新しい一歩を目指し、それこそ時期だけを選んで「今の施設を辞める」つまりです。

良いじゃないですか。もう十分、3年という間、慣れない介護職と続けて来られました。