「PTSD」について考える
「PTSD」とは、心的外傷後ストレス障害です。
「死」に直面するような体験をした時など、心が状況を理解できず、精神が直接的にダメージを受けた時などに発症すると言われます。
テレビのニュースなどでも、特集番組が放送されたり、近年では割と耳にする言葉でしょう。
職場の上司から、「こみちはエンパスでしょう?」と指摘されて、それまで「エンパス」という言葉もその意味も知らなかったのですが、言われてみればと思うケースも少なくないので、その上司が思ったのも分かる気がします。
そんな経験があって(実際には子ども時代からですが)、精神障害のような問題に関心がありました。
しかし、何となく触れてはいけない領域という気持ちがあって、自ら積極的に調べてみることをしませんでした。
ところが、最近、大きな物音が目の前で起こり、いつもなら「ワァ! 驚いた」くらいで済んだのですが、「やばい!」と直感的に感じて、即座に「PTSD」を思い浮かべました。
というのも、物音を聞いた瞬間、「驚き」を心が感じ、それを脳が処理する過程で、一瞬、処理不能になる感覚があったのです。
でもそれは一瞬のことで、気にしてしなければ感じることもなかった体験ですが、その時は明らかに「やばい!」と察しました。
もしも、その状態がパニック中にも継続するような体験だったら、それは脳が「処理不能」をエラーとして記憶し、同じ状況巡る度にフラッシュバックすると思ったのです。
それでも、大きな音や急な場面変化、強い緊張状態など、昔から苦手としているシチュエーションがあって、でもそれなりに自身でも対処法を身につけているので、大きな問題にはなりませんでした。
しかし、最近の出来事で、「PTSD」を連想してしまうほど、心が状況を処理できない体験をしてしまいました。
「PTSD」に注意するタイプってあるのか?
こみちは精神科医ではありませんから、医学的にも学術的にも精神的にも、その原因や症状を根底から理解してはいません。
ただ、目の前で起こった「予想外の出来事」を体験した時に、直感的に「処理できない」と分かり、その先に「PTSD」があることを感じました。
もしもそのようなメカニズムから「PTSD」になってしまうとするなら、処理する能力と直面した出来事とのバランスによっては精神的なダメージを受けてしまうでしょう。
つまり、一回の体験では発症しないこともあるでしょうし、その時には大丈夫で、その後に似たような些細な体験から発症してしまうかもしれません。
その意味では、「そんな些細な経験で?」と目の前の出来事だけで判断すると理解できないことも、もう少しこれまでの体験を遡ることで、どこに理由や原因があったのか分析できるかもしれません。
ただ、個人的な意味では、なぜ発症するのかよりも、発症後も安心して暮らしていけることが大切です。
今の心理状態から分析すると、強い刺激を受けるような場面を避けることと、危ないと感じた時には立ち止まることでしょう。
結果的に無理しても大丈夫ということもあるでしょうが、逆をを言えばより些細なきっかけで反応するようになってしまうこともあり得ます。
その意味では、心が疲れていたり弱くなっている時ほど、無理をしないことでしょう。