一流とは何か?
例えば、一流を別の言葉で説明したい人が、「一流とは二流とは異なる目標を掲げる人だ」と言ったとしよう。
中高年になったこみちにとって、「そんな目標って何だ?」となる。
「世界平和」というような、無限に拡大した問題の解決には、革新的な一手でも成し遂げることはできない。
なぜなら、万人に響く言葉など存在しないからだ。
言うなら、具体的に、より詳細に語るほど、万人には響かない。
でもこのことにも意味があって、より広範囲向けて発信したいなイメージとか雰囲気を語る方が都合がいい。
しかし、それでは現実や日常は変わらないから、より狭い範囲の相手に向けて、イメージや雰囲気では感じ取ることができない具体性を持った目標が必要になる。
そうだとしたら、一流にしか掲げられない「目標」とは二流のそれと何が違うのだろう。
「絶対」という100%の可能性
一流だけが持つ「目標」とは異なる概念として、「絶対」というものがある。
つまり、他のいかなる条件が変化しようとも、その事実だけ変化しないという意味だ。
少なくとも絶対的存在ではない人間が行うことに「絶対」は存在しない。
金メダル確実と言われた選手がまさかの敗退など、世間的にも珍しいことではないだろう。
それはつまり、金メダルが難しいとされた選手が、あれよあれよと金メダルを取ってしまう感動的ドラマがあることを意味する。
中高年になって思う「理想の自分」
若い頃に思い描く理想の自分とは、「なりたい自分」になることかもしれない。
でも、歳を重ねて思うのは、介護士の仕事が大変だとしても、医師になりたいとは思わないし、看護師になりたいとも思ったりはしない。
この記事を読んでくれる方で、例えば安定して月に50万円の収入と健康が約束されていたら、理想の自分になれなくてもいいと思うのではないか。
なぜなら、「理想の自分になる」ことで、何か特別なことがあると思っているなら話は別かもしれないが、どんな立場になったとしても大変なことは必ずあるからだ。
それはつまり、無欠ではない人間の世界で生きる限り、一個人が抜け出すことはできないことでもある。
ストイックに突き進んでいるつもりでも、自己満足でいいなら話は違うが、誰かに評価してもらう以上はどこかで「調和」を学ばなければ受け入れてもらうことはできない。
その意味では、健康とある程度の収入が約束された生活は、決して「理想」ではなかったとしても、そこに大きな価値がある。
こみちが思う未来の自分
結局のところ、一流と呼ばれたいとは思っていない。
それこそ、二流になれなくてもいい。
三流でも四流でも、自分が好きなように生きることが許されるなら、それで十分だ。
でも、それさえ手に入らないから、こみちは毎日のように考えて苦悩する。
知り合いの人が、資産運用で上手くいったらしく、こみちの月収を以上を数日間で稼ぎ出したという。
すでにこみちのような労働者ではないから、その人は「運用」で食べている。
こみちからすれば、そこまで到達したなら、もっと自由に生きれば良いのにと思うが、毎日、運用して稼いでいる。
結局、人生として与えられた「時間」を消費し、資産を増やすことに費やしている。
いくらあれば十分というのは人によって違うと思うが、それこそバランスの問題で、働きまくって一等地に大きな家を建てたい夢を叶えるのも人生なら、質素ながらのんびりと暮らす生き方を選ぶのも人生。
それこそ優劣をつけるべき問題ではないし、自分の理想が年々シンプルになっていくのも止められない。
行き当たりばったりの生き方
何かことが起こるまで、特段の準備などしない生き方を行き当たりばったりの生き方という。
しっかりと準備をそておけば、万が一の時に役立つというのは、保険会社のキャッチコピーみたいだ。
でも、万が一の万が9999は、何も起こらない。
つまり、そう9999なら、準備はほぼ無駄になる。
じゃあ、「万が一になったら諦めれば良いじゃないか?」という人が現れたら、いつも準備準備と毎日を心配ばかりして生きる人は驚くだろうし、万が一になって慌てればいいと思うかもしれない。
そりゃそうだろう。
好きなことも我慢して、予防にばかり気を注いでいる人は、どこかで報われないとかわいそうだ。
しかし面白いもので、どんな生き方を選んだとしても、その人生を楽しめる人と楽しめない人がいる。
それこそ、一流とか二流とは関係ない部分で、人生を楽しむことが決まる。
全てを手に入れたのにつまらなそうで、高価なものをたくさん持っているのに、幸せには見えない人もいる。
逆にそんなに高価なものを持っている訳ではないけれど、そこにいるみんなが笑顔で楽しそうに見えたら、見ているこっちまで幸せな気持ちになる。
何かトラブルが起こった時に、大変なのは誰にとっても同じこと。
でも、そこで何か面白いことを見つけ出して、楽しむことができたら、人は幸せを感じるし、生きていることに感謝もできる。
きっとこみちは、そんな人間になりたいのだろう。
どうか、こんなこみちをどうぞよろしく。