夫婦喧嘩はなぜ起きる!? こみち家の場合

 考え方の違い!?

こみちの妻は、今朝、突然に泣き出した。

最近、精神的に不安定になっている妻は、感情を自分から出さない代わりに、突然の発作で気持ちが爆発してしまう。

「大丈夫。大丈夫だから…」

今朝も朝5時に起きて、こみちは両親のご飯と妻のご飯、さらに弁当も作った。

昨日、介護士として働き、いろんな不満を感じていたし、正直、今朝誰も起きてくれないことに苛立ちもあった。

以前は朝食の準備だけだったのが、昨晩の食器の片付け、ポットのお湯の準備などなど、まるで介護施設で働いている時のように細々した仕事がある。

ぶつぶつと不満を口にしながら、1時間もすればどうにか予定は全て終わり、また寝室に戻って今度は妻に声を掛ける。

「ご飯できたよ!」

「…。う、うん」

結論を言ってしまえば、こみちが夜勤専従にでもなって、ガンガンと働けば両親も妻も幸せに暮らせるのだろう。

いつもテレビを観て1日を過ごす父親が、今以上に老いた時には、さらに仕事を増やして、稼げばいい。

母親の仕事もうんと減らして、気ままに暮らす老後生活を整えれば全てが丸く収まる。

でも、こみちは卑怯者で、弱い人間だから、今でも父親にできることをして欲しいし、母親や妻にも目指して欲しい希望がある。

そんな矢先、朝食を食べ始めた妻が泣いた。

「…大丈夫!?」

大粒の涙がテーブルにポタポタと落ちて、それを手で擦るように拭う妻に、起きて来たばかりの母親は気づきもしないでテレビをつけて天気予報に耳を傾ける。

父親はというとまだ布団のなかで、昨日も一番遅くまでテレビを観ていたから今朝も7時くらいまでは部屋から出て来ないだろう。

「こみち、もう私、こんな生活から逃げ出したいだけど!」

「うん。そうだね」

妻にとって直接的な被害は、同居することになって休日も居場所がないことだ。

妻だって料理はしてくれていたし、こみちが作らないグラタンやドリア、パンを焼きたりケーキを作ったり、それこそ両親が来てから作らなくなったものも多い。

理由はとても簡単で、キッチンに立つとリビングにいる父親の姿が視界に入るからだ。

妻と父親の仲は悪くないとは思うが、良いとは思えない。

あまり二人だけで話している姿を見ないし、どちらかというと妻の方が距離を取っているように見える。

こみちと同じ日に休みが重なれば、夫婦で行動することが多いし、別々になればきっと妻は自室に篭るか、車で出掛けてしまうのだろう。

いろいろな事情を察して承諾してくれたことではあるが、実際に妻のストレスは蓄積されているし、やはり耐えていてくれたことに変わりない。

在宅介護になりつつある父親のこと

介護というと手助けするようなイメージを想像するかもしれないが、仕事をしなくなって一日中家に居られる状態になったら、それは家族から介護されていると言ってもいい。

父親の場合、家事は何もしなくなって、以前はしていた風呂洗いやリビングの掃除も、今は手の空いた人が代わりにこなす。

父親がしてくれた時には「ありがとう」と感謝の言葉を添えて、労を労う。

それはいつの間にかできた父親への「労り」だ。

疲れた時や気が乗らない時は何もしない父親で、だからそんな父親を見て妻は家に帰りたくないとも言っていた。

仕事で疲れて帰っても、父親を見るとまたため息が出るからだ。

もちろんそこには叔母の件も関係している。

難しいところだが、叔母の件で父親も老けた。

認知が進んだようにも思う。

それだけ強いストレスを感じたことで、脳が老化を選んだのだろう。

何かしても以前よりも動作が鈍く、時間が掛かる。

時にはお湯を沸かしてと頼むのでさえ、火の始末まで考えると躊躇うほどだ。

今日、それでも仕事に出掛けた妻にサプライズでプレゼントしようと、先日、近所のイオンで見つけた財布を買ってきた。

決して高価なものではないが、話していた財布が机に置いてあったら驚くだろう。

そんなことで問題そのものが解決するとは思わないが、日常生活に変化を取り入れながら、今を乗り切るために工夫をしなければいけない。

今日は妻の布団を天日干ししておいた。

もうかなりふわふわになっている。

ベッドに入った時に、太陽の匂いを感じてくれたら、それだけで気分が上がるだろう。