高齢者の介護は「家庭崩壊」の要因となってしまうのか?

 「認知症」になる原因

認知症になる高齢者の傾向として、例えば社会性の低下が挙げられるでしょう。

つまり、独居老人で、家に篭りがちな場合、それだけ日常生活から程度な刺激が受けられません。

それはストレスフリーの自由な生活スタイルにも見えますが、長期的にみると対人関係の構築で新たな問題が生じる要因です。

そこで、「認知症予防」の観点から、老後もできる限り地域との交流や仕事を継続することが大切です。

しかし、高齢者との話の中で、年金額が下げられてしまうという理由から働くことを拒む人も見かけますが、「稼ぐため」ではなく「健康的に暮らすため」と目的意識を改めて、ボランティアでも、短時間でも社会との交流を維持することをおすすめします。

今、こみち家で起こっていること

こみち家では、両親と妻、四人が暮らしているのですが、正直なところ共同生活は良好ではありません。

仲が悪いという表面的なことではなく、価値観の違いや生き方の違いなど、四人の大人が一緒に暮らしているので、さまざまなところで見解の相違がすれ違いを生みます。

例えば、新しいフライパンを購入すると、こみち夫婦なら使っていたフライパンを捨てます。

しかし、親世代は勿体ないという感覚が強く、古くなったフライパンを捨てません。

しかも、そのフライパンを目に止まるところに置いたままにします。

コレが、捨てたくないという理由から、キッチンの上部にある棚にでもしまってくれれば問題は大きくなりません。

「コレ、捨てますよ!」

「まだ使えるから…」

で、そのまま目につくところに放置されます。

「ここの棚に入れときましょう!」

そこまで手を下さないと、フライパン一つ解決しません。

もうご存知の方もいると思いますが、今、叔母の一件でこみち家は対応を迫られています。

しかし、フライパン一つでそんな状況ですから、叔母のことで主体的に動くことができない両親は、誰かに言われるまで放置しますし、言われても明確な判断ができません。

しかも、その費用に関しても、どこかこみち夫婦に依存気味です。

例えば、そこで100万円を出したとして、そこに何かあるのかというと何もありません。

しかし、フライパンを買った時に驚いたというか、いつもそうなるのですが、「フライパンはお父さんが身銭を切ったから」と言い出します。

「それ、いくらだよ!」

って話ですが、10万円単位の話は全く気にしないのに、数千円の話では何かと奢ったアピールなのです。

だから捨てないにも繋がるのですが、同居してから家に不要なものがどんどん増えていて、そこにある程度寛容な態度を示していることさえ、理解してくれません。

本当に疲れます。

心が持ちません。

少し前までなら、相手の立場や考え方に寄り添う気持ちもありましたが、今はできないのではなく、していたら本当に自分の心が壊れてしまいます。

それくらいギリギリで、今さっきも一緒の食卓を囲んでいて、とても心が締め付けられます。

しかも、ストレスが蓄積された時に現れる指の付け根の強張りが生じ、既に身体からもシグナルが出ています。

上手く抜け出せない現状と、明らかにロスをしている実情を見て、もう気持ちがシャットダウンしていると思います。

昨年の春頃、実は同じような心の状態になり、妻から表情を無くなっているからと仕事をしばらく休んでいた時期がありました。

幸いにして、妻の支えと職場の理解もあって、以前よりも精神的に復活できたのですが、それでもとても脆い状態であることに変わりありません。

そこまで、不特定多数の方々が閲覧するであろうブログに、自身の出来事を載せるべきかとも思いますが、高齢者介護という社会的な問題が、そう簡単なことではないと知ってもらう意味でも掲載することにしました。

いろいろな考え方があり、どれが正しいということではないと思いますが、一つの事例として高齢者を施設に預かってもらう難しさや、高齢者と同居する現実をこれから、又は現在進行形、さらに経験済みの方に、共有できることがあればと思っています。