人生を賭けた勝負に出る前に

 「個性」を重んじる前に「当たり前」をマスターする

介護士として働いてみて、排せつや食事、移乗などの介護士なら基本となる技術がいかに大切なのかを学ぶ。

しかもそこには幾つもの段階があって、初めて触れた時は「完了した」ということが目標になるだろう。

ところが、同じ介助を毎日毎日続ける中で、例えば効率とか、安全性とか、快適性と言った同じ「完了」にもより深い支援方法があることに気づいて来る。

まだこみちような経験が浅い介護士が語るのは時期尚早だが、会話やタイミングなど、複合的な総合力が介護には欠かせないことを理解してくるだろう。

つまり、オムツ交換が3分でできるとか、食事介助で誰よりも食べさせるのが早いというような支援は、介護士としてはまだまだ不完全で、「当たり前」に到達していないことになる。

しかし、とても残念なことだが、多くの介護施設で求められるのは、利用者からの満足の前に、現場を回すスピードだったりすることも多い。

つまり、介護士として「当たり前」はスピードではないはずだが、現状としては目の前の仕事を誰よりも早く終えられる介護士ほど重宝な存在なのだ。

その現状を抜け出して、介護士として「個性」を発揮するところまで仕事の本質を熟知するのは容易ではないだろう。

結論的なことを言ってしまえば、これから介護士として働く予定があるなら、寄り添いや共感の本質を例えば心理学ような世界観で掘り下げる前に、オムツ交換の手順や入浴介助の安全な支援方法をしっかりと身につけることが優先される。

なぜなら、その基本的な技術が身につけば、少なくとも一回の勤務で数千円から数万円の報酬が得られ、それによって自身の生活を賄うことができるし、その先には次の展開も考えられる。

自分という人間が何者で、どんなことができるのかを考える「個性」の話も大切ではあるが、中高年になってくるとそれよりも前に「当たり前」を身につけて働けることが重要だろう。

「個性」とは何か?

こみちは介護士としても働いているが、イラストも描いたりする。

このブログをご覧になってくれる方々でも、まだイラストを見たことがない人も多いはずだ。

絵を描かない人にとってはイメージし難いかもしれないが、イラストとは本質にある必要な「線」だけを抜き取る結果だと思っている。

「は?」っと思われるかもしれないが、この「線」が無いと描けないという不可欠な「線」と、描き手の個性で追加された「線」というものが存在する。

先に紹介した介護士の仕事で言うなら、排せつなどの基本と重なるのが「マストな線」で、作品の仕上がりや作風に関わるのが「個性となる線」ということだ。

書道での話を持ち出せば、見本とそっくりな文字を描いても、「二流」にはなれるが、それ以上にはいけない。

つまり、書道で求められているのは、「位置」のバランスではなく、「線の動き」だからだろう。

言うなれば、描く際のスピード感である。

筆の動きに緩急がつくことで表現される「パワー」が、線同士の位置関係だけでは補えない。

この感覚は、作曲の世界にも通じるし、料理などの分野にも言える。

もちろん、介護にも通じているから、「とにかくがむしゃらに頑張る」とか、「少しでも楽にする」とか、そのあたりの感覚でいる限りは先に進めないことに気づくだろう。

こみちが絵を描く理由

こみちは絵を描くことが好きだ。

それこそ、描き始めた頃は左右対称のものが多く、顔で言えば真正面の構図がほとんどだ。

理由は簡単で、斜めを向いた顔を描くのが難しいからだ。

そんな段階を経て、「この構図はどうだろう?」と思うアングルに出会った時、思わず自身の画力を試してみたくなる。

案外、上手く捉えられた時は嬉しいし、まだまだ本質を描けていない時には描き直したり、方法を工夫したりする。

そしてその先に「作品」としての創作が始められる。

こみちの場合、日常生活の中で、「このシーン」という気づきがいつもある。

表情だったり、動きだったり、それは人だけでなく景色や物体などで感じられる。

でもその時に感じた感覚を「絵」で伝えることができない。

イメージをそのまま「絵」として描く画力がないからだ。

つまり、例えば雄大な富士山を左右対称の構図で描きたいとは思わない。

腕試しとしてなら、いかにリアルに描けるのか試すのもいいだろう。

しかし、感情として湧き上がるものではなく、むしろ技術的な意味合いからだ。

電車に乗っている時、ふと思い立って乗客の姿をスケッチブックに描いたりもする。

作品としてではなく、その時に感じた感覚をどこまで描けるのか試したくなるからだ。

ただ、感じた感覚を実際に描き取れた経験は今までに一度もない。

つまり、まだまだ基本ができていないからだ。

でもそうやって少しずつ基本を身につけて、描こうとするところに面白さがある。

そこまで到達できたら、「作品」を本格的に作ることもできるだろう。

そして、この時には「プロ」という仕事への転換もできるだろう。

介護の仕事の時は、3ヶ月からコツを掴み始め、段階的に成長しながら今に至る。

絵の場合は、十代の後半に受験対策で絵を学び始めて、もう数十年以上も基本を学んできた。

でも、まだまだ絵の方は温めなければ芽が出ることもない。

だからこそ、「基本」がある介護のような仕事をして、生活を維持することが必要なのだろう。

自分にしかできないことを探す前に、自分にもできることを覚えて働くことが大切だ。