高齢男性に多い特徴
勤務している老健の隣りにあるデイサービスには、毎日、いろんな人が日中を過ごす。
施設入所している多くの人が要介護認定で「介護度3以上」の人が多く、それはつまり独歩が困難なレベルと言っていいだろう。
一方で、デイサービスを利用している人は、生活基盤が自宅で、家族や訪問ヘルパーなどの助けを借りれば、大半の家事ができる。
もちろん、老化現象が顕著になっても、「要介護認定」という制度や申請方法を知らない(調べられない)ことで、家族が苦労しながら老いてしまった親を支援していることも多いだろう。
時々、仕事中にデイサービスの建物に入ることがあるが、その時に決まって感じるのは懸命に歩いている人と全く動かない人に分かれることだ。
懸命に歩いている人の大半は、一緒に歩いている人と話をしたり、歩き終わってみんなが待つテーブルに戻っても、話題が豊富でおしゃべりを楽しめる。
一方で、受け身が身についてしまった人は、どうしても歩こうとはしないし、みんなと居てもグループの中心的な存在ではない。
話題というのは、単純に話し上手や口下手ということでは説明できず、高齢者の場合、特にその人の生き方や日常の楽しみ方、好奇心や前向きさが大きく関係していると思う。
男女問わず人気がある話題は、季節感や天気、料理や旅行、趣味、子どもや孫に関することが多い。
男性で、現役時代に仕事ばかりして来た人で、趣味や家事をしていない人は、どうしても話題の範囲が狭い。
事実、介護施設で見かける高齢者同士の話題は、何かを深掘りした話ではなく、旅行の話題から現地のホテルや旅館、観光地、土産物と流れて、そこから関連する子ども孫、趣味などへと展開される。
昨今は家庭菜園とか庭の草花などの話題も出て、例えば持ち家でなければ経験できない話になって、気づけば無口になってしまう人と変わらずおしゃべりを楽しむ人がいる。
無口な人と言っても、元来話すことが不得手という場合ばかりではなく、施設でも社会性があって、そこには同じ目的で利用していても、生活レベルや豊かさの違いが顕著にさせるのだ。
特に男性高齢者の場合、現役時代のサラリーマン経験も重なり、どこか「昭和の男」を貫いてしまう人がいる。
それこそ、ペチャクチャと話す気持ちになれないとか、他人の話題豊富な姿をみて、仲間に入れないことも多い。
その辺は子育てを経験している女性たちとは異なり、いろいろなこともあるが、それとは別で社会と馴染むことに慣れていない。
「コレ、どうする?」
何でもないことでも、気さくに聞ければ良いのだが、男性の中にはプライドや立場を重んじるあまり、誰から言われないと黙って動けないことも少なくない。
「杖を突く」という事実
高齢化が進むと動きが緩慢になる。
何かする時に、準備や段取りが極端に遅くなる。
その理由は、同時に進行させることやタイミングをはかること。
さらには、自身も動きが鈍くなってしまう。
そんな老化現象の一つとして歩行力の低下があるが、多くは膝関節の痛みや損傷が影響している。
膝への負担を減らしたなら、そこに至るまでの間に日常生活の中で健康体操などを取り入れたり、体重管理を徹底するなどの対策がマストだ。
しかし、特定の仕事を持たず、日常生活で食べることが好きで、現役時代と変わらない食事方法を続けてしまうと体重増加と筋力低下が同時に始まる。
そうなってしまうと痛み出した膝関節も悪化が早く、それまで以上に家事をするとか趣味を楽しむこともできず、ますます生活範囲が狭まってしまう。
そんな生活をしていれば、どうしても情報はテレビからということも増え、それこそ施設で話題となる旅行や趣味の話も積極的に参加できないだろう。
だからと言って、施設に行くことを避けて自宅にこもってしまうと、ますます運動量が低下して、歩行力も下がる。
健康的な暮らしを望むなら、それこそ何をどうすれば良いのかを考えるか否かがポイントになる。
つまり、施設に来て、しっかりと歩ける人は、結果的に健康を維持しているだろう。
一方で、あれこれと理由はあるにしても、施設で動かない人や施設そのものを避けてしまうと、不足分を自身の努力で補う必要がある。
介護士として言えるのは、「施設には行きたいくない」と言って、自身で日常生活を積極的に頑張れるタイプは別としても、家でも座ってほとんど動かないタイプの人は早目に生活を見直した方がいい。
リハビリに効果があるのかという観点ではなく、できないことを認めて、だからどうするべきかを考えることにためには、頭を切り替えることがポイントになるからだ。
というのも、家に篭って居る父親は、ますます歩けなくなっている。
もう100メートルも厳しい。
実際にそれ以上歩けないのではなく、自身で限界を作り、周囲に助けをすぐに求め、一日のほとんどを受け身で暮らしている。
3度の食事も食べるだけ。料理も食器洗い物しない。
風呂も洗わないし、洗濯物を干すのも避ける。
掃除もしないし、ゴミ捨ても嫌がる。
「杖を突くと老いて見られるだろう?」
ふとそんな言葉を発して、なぜ、動かないのか、外に行きたがらないのか分かった。
ゴミ捨ても老夫婦だけなら、どちらかが頑張るしかない。
歩くのが大変でもそこは頑張るしかない。
でも、朝出掛ける時にこみちが持って行けば、父親はテレビを観ていられる。
「少しは手伝えば?」
そんな風に言うと、「お前は膝関節の痛みを知らないんだろう!」と怒鳴り始め、それが母親に飛び火する。
厳しく言いたいところだが、母親からは「あまり厳しくしないで」と言われて、親夫婦だけになった時に母親が機嫌の悪い父親の相手に苦労するらしい。
このままでは
こみち自身も父親の状況を考えると、かなり厳しいと感じる。
父親が施設で馴染めるとも思わないし、母親に依存している気質が抜けないから、自分から変えることもできないだろう。
かと言って、母親にも老化現象は現れていて、もしも先に逝くようなことがあれば、父親はどうするのかと心配になる。
かと言って、父親は母親に何か気遣いしている様子もないし、正月に渡したお年玉で、母親に何か買って来るような気持ちも見えない。
「俺は膝関節が痛いんだ! お前たちには分からないだろう!」
仕事でのストレスや苦労、肉体的な疲労を父親に示したことなどないし、でも言わないだけで誰もが抱えている悩みを父親を想像できないのだろう。
でも、父親に現実を話すのも難しいことがわかった。
父親の妹の一件で、父親は自分から動くことは出来なかったし、話をまとめることもできない。
全てが後手後手で、受け身のままだった。
とても残念なことだけど、それが老化現象なのだろう。
楽しいことや周囲で用意してあげれば、気分よく楽しめても、周りが気を使わないと孤独になるし、何もできないまま動けない。
「餅なら焼ける」
この前、そんなことを言っていたけれど、みんなのために焼くとは言わないし、誰もいない時に自分でもそれくらいならできるという意味で、それを聞いて「もう介護じゃん!」と思ってしまった。
自分が食べるというために「餅を焼く」が、当たり前ではなく、自身の特技になってしまうことに、家族は正直肩を落とすし、この先を考えると不安しかない。
なぜ、杖を突かないのか。
本当に頭が痛いけれど、父親に過度なストレスを与えるとさらに認知が進むことも分かって、もう本人には言わないけれど、自宅介護が始まっているのだろう。