相変わらずの父
「担当者に全部を任せている!」
父に何か聞けば、必ずそんな答えが返ってくる。
昔から「こうしたい」というものがなく、生き方にこだわりを持っているようには思えない。
最近は本当にテレビが好きで、1日の大半をテレビの前で過ごしているのだが、リビングにある55型の大きなテレビはいつだって海外ドラマが流れている。
たまに覗くと、床に横たわり居眠りしている。
この頃は「病院の方はどうなっているの?」が、「病院からは何か言って来ない?」に変わってしまう。
叔母と同年代の父なのだから、自身の将来を考えたら施設選びに本腰を入れてもおかしくない。
けれど、「介護」=「怖いもの」という感覚でもあるのか、別の話題なら振っていなくても話したがるのに、「施設は?」という話題が家族内で持ち上がっても父は無口を貫く。
こみちとしては、「俺にはできない。だから、施設選びをみんな(家族)でしてくれないか?」と正直に言ってくれた方がまだ可愛げがある。
「やればできる」という雰囲気を残しつつ、蓋を開けてみれば全て人任せということが多いことに、こみちの不満は募る。
一人暮らしをして来た叔母に対して、「自由奔放に生きたからだ」というような言い方をするが、年金だってしっかりもらえるように会社勤めを全うしている部分では、よほど将来の覚悟と準備をして来たと思ってしまう。
確かに一人暮らしの人が持ち家ではなく賃貸を続けていると、70代を超えたあたりから家を借りるのが大変になると聞く。
それは火の始末やゴミ屋敷化し、孤独死ということもあって、身許引受人がいなければ貸す方も難色を示すからだ。
仕事が休みの日を潰して叔母のことであれこれと動くのも、中高年のこみちには負担も大きい。
父本人のことなら好きにすればいいが、叔母はあまり関わりがなかった存在で、しかも独り身なのだから、せめて兄弟としての務めは果たしてくれないかと思う。
マイペースを崩さない父は、朝も起きるのが遅い。
夜中に頻尿で目覚めが悪いからだ。
しかも、男がするものではないと思っているらしく、料理もしなければ、洗濯もしない。
掃除は掃除機でできる範囲ならしてくれたが、最近は膝や腰が痛いらしく、こみちに言い難いのか母が秘かに代わっているみたいだ。
普通に考えれば、叔母のようなことが起きたら父も同じ手続きが待っている。
例えば、これは男性に多く見られる傾向だが、勤務する施設にあるデイサービスを利用する人で、施設内の周回路を歩いているのは圧倒的に女性が多い。
男性でも自身のために歩行訓練している人もいるが、そんな人は決まって社交的な人柄だ。
父も元々は社交的な人柄だが、家の周りを散歩するようなことはしたがらない。
何年も昔に、健康維持を目的とした自転車購入の話でも「要らない」と拒み続けたほどだ。
「どんな風に行きたいのか?」さえも語ることがなく、叔母の施設選びが間近に迫っていても、父はテレビを観て一日を過ごす。
「最初は老健がおすすめでして。老健というのは…」
ケースワーカーから連絡が来ても、大方はそんな話になるから、「おすすめでお願いします」と言うしかない。
叔母の現状がどうで、何かどうした方がいいのか。
そんなことを自分から一切聞こうともしないで、施設選びが進んでいる。
現役介護士の立場とすれば、施設見学もして欲しいし、それは自身の今後を考える参考にもなる。
でも、家で家族に支えられながら老後を続けるつもりなのか。
自分からは動かないままだ。
それこそ、父の年金額を正確には知らないが、叔母以上に厳しいなら、親の介護が始まればそれこそこみち自身の将来や預貯金だって切り崩されることになるだろう。
何故、厳しく父に言うことができないのか。
すでに父も高齢者で、反応が以前とは異なる。
部分的にはまだまだ元気だが、あれこれと考えるには遅いのも現実だ。
その意味でも中高年の60代の内に自身の将来設計をしておくべきなのだ。
80代になる父には、自身から何かすると言う気力はもうなく、与えられたものを受け取るしかできないのかも知れない。
でも、男性特有のプライドは残っていて、「与えられる」を惨めな存在にはしたくないのだろう。
だから、決まって頭を下げてお願いすると言う潔さはなく、いつも肝心の時に無言を貫くのかも知れない。
「候補となる施設は…」
こみちがお膳立てすれば、やっと聞く気になって、ポイントを噛み砕いて優劣を伝えれば、「それでいい」となる。
いつになったら介護認定が決まるのかさえも分からない状況でも、全く慌てる素振りはなく、周りの家族ばかりが焦っているように見える。