高齢者との共同生活とは?

 在宅介護のイメージを掴むために

以前にも書いたが、家にいる時は仕事が休みか否かに関わらずこみちは朝の5時には起きて、家族の「朝食」を作る。

それはそれぞれの生活スタイルが異なることもあるが、同居する両親に合わせた意味も多い。

以前は家族全員で食卓を囲んでいたが、段々とずれ始め、今では両親でさえ一緒に食べないこともある。

特に父親は自分の生活スタイルを崩そうとしないし、それにずっと合わせた母親はこみちたちにもそれを尊重させたがる。

父親は古いタイプの人間で、台所に立つことをしない。

あえて言うならインスタントコーヒーを作るまでだ。

そんな父親だから、以前は仕事で昼に戻って来られない母親が、「お父さんをよろしく」と休みの重なったこみち夫婦に昼ごはんの準備を強いてくる。

「ちょっと待ってよ。やっと二人の休みが合ったんだ。昼くらい外出したい」と訴えると、決まって母親は不満げな表情で「じゃあ、無理して帰るわ!」と捨て台詞を吐く。

まるでこみち夫婦が悪いみたいな話になってしまう。

もちろん個人差もあるし、「料理を作れない」という所から考えれば、誰かが代わりに準備しないといけないことにもなる。

しかし、みんなが忙しい時は、カップ麺でも、簡単な野菜炒めでもできないものだろうか。

定年退職をして以降、父親の役割は実質的に減ってしまった。

しかし、母親は「家長」としてのポジションを父親に与え続ける。

それはつまり、父親以外の家族が、無理をしてでも支えるという姿勢だ。

休みの日、今みたいに記事を書いていると、部屋の外で何かガヤガヤしている。

ドアを開けてみると、大きな布団を母親が階段から登って来た所だ。

その時、父親は一階でテレビを観ている。

「お父さんは?」

「膝が痛いのよ」

思えば、布団を干した気持ちは分かるが、母親が転倒しないかと気にもなる。

こみちが手伝ったこともあるが、それは根本的な解決になっていない。

というのも、トイレや風呂、共有のリビングの掃除などはこみちの妻が仕事の合間にしてくれる。

こみちは朝の食事と皿洗い、弁当を作る。

ゴミ捨ては母親がしてくれるが、父親の仕事はポットのお湯を沸かすことだ。

それもできていない時には、他の誰かが当たり前のこととして行う。

入院中の叔母の件も、決して父親が積極的にしているとは思えない。

家族で「これだけは病院で確認して」とメモまで渡しても、「しなかった」と平然ということもある。

「なんでしなかったの? メモを渡したでしょう?」

あまり過度にいえば、「俺ばっかり! お前がすればいい!!」と逆ギレしてしまうこともある。

初めて父親の姿を見て妻は消極的になったし、母親は仕方ないと言い出す。

でも、母親に関しては「代わりにする」ではなく、「放置状態」になるだけだ。

それでも夫婦の問題ならまだいい。

叔母の件は退院との関連もあるし、施設探しも簡単ではないから、できる時にしておくことは多い。

「両親」という捉え方と「高齢者」という捉え方ではやはり家族としても気持ちが異なる。

その意味では、介護施設で高齢者を支えることと、在宅介護で家族が両親を支えるのとでは意識もストレスもかなり異なるだろう。