理想の労働とは何か?

 社会人経験とは何か?

学生時代にアルバイトという雇用形態で働いたことはないだろうか。

こみちは貧乏学生だったので、「賄い付き」という言葉に敏感だった。

アルバイトで働くと、大抵は「社員」という管理者がいて、働き方をあれこれと指示してくる。

「ここまで終えてから」と思っていても、社員のひと言で作業を中断し、別の作業に変えられてしまうという経験を重ねて、秘かに「自分のペースで働きたい」と思うようになった。

実際に社会人となって、でも新入社員から数年の間は先輩や上司の指示を仰ぎながら仕事を熟すという感じで、「自分のペースで」が叶ったのは自身に部下ができた時だ。

こみち自身はアルバイトも正社員も、雇用によって意識が変わるとは思っていなかったし、アルバイトだから手を抜くという気持ちもなかった。

しかし、実際に社会人経験を重ねて、「仕事とは何か?」に対する答えにも気づくようになる。

強いて言えば、30代の頃は仕事が夢を叶えるものと重なっていた。

その頃は広告に関わる仕事をしていて、与えられた課題に最善の答えを導き出すことが仕事だと思っていた。

そして、40代になって、介護という仕事にめぐり合い、こみちは「未経験者」とか「初心者」というポジションに戻った。

何か頼まれると、そのほとんどは今までやったことも無い仕事で、何よりも「最善の答え」さえ知らないまま、仕事を見よう見まねで熟そうとしていた。

その象徴的な作業が、「オムツ交換」だった。

では、それが上手くできるようになった時に何が起こるのだろうか。

こみちの場合には、介護が決して「オムツ交換」などの作業でできていないことを知った。

つまり、「介護」を理解することは「現実」と「哲学」「倫理」などを知ることだと気付かされる。

何を大袈裟なと思われるかもしれないが、そこを抜きにした「介護」では補えないことをきっと70代や80代になって気づくだろう。

前回の記事にも、有料老人ホームの存在意義を掘り下げる中で「介護とは何か?」に触れ、例えば特養ホームなら月額10万円で有料老人ホームなら30万円になってしまうとして、差額の20万円にどんな差が見つけられるだろうか。

数字として、10万円の倍が20万円であることは疑いないとしても、介護で2倍のサービスとは何かを考えると思いの外難しい。

アルバイトの単価と正社員の単価に実際の価値がどれだけ異なるのかは、アルバイトから正社員になっただけでは気づけないだろう。

こみちの場合、介護士として施設で働き始めて、どうサービスを提供できるのかに疑問を感じていた。

と言うのも、以前にも触れたがある先輩スタッフはいつも働かない。

何もしないというよりも、価値を持って働いていない。

経営者ならそんな働き方は求めていないし、こみちの会社なら本人に確認してみたい気持ちになる。

実は今日も一緒に働いたのだが、その印象は同じで、それこそ介護士という仕事がそこにあるなら、もう将来性はゼロに近いとすら感じてしまう。

というのも、介護士になって頑張ろうと思っても、一人の先輩によって嫌な思いをしてしまうのなら、それはとても残念に思うからだ。

こみち自身も「介護とは何か」について幾度も考えてきたが、この先もその答えが変化しないとは限らない。

なぜなら、介護は「人生」を扱うもので、人の生や死に直結する仕事でもある。

人生をどのようなものと考えるかによって、介護に対する目的や理想が変化するのも当然なのだ。

ただし、それこそ介護度が上がるに連れて選択範囲は制限されてしまうから、施設の利用者にすれば利用期間が長くなるとそれだけ本人の意思とは関係なくサービスも似通ってしまう。

つまり、介護施設に入ってから考えるのではなく、自身の人生を考えた時に「介護」が含まれてきて、その先に介護施設に行き着くのである。

振り返れば、アルバイト時代には正社員の指示に大きな意味や意図があったと思っていた。

しかしながら、正社員になっても上司や会社の方向性、市場の動向などを踏まえて、その意思決定が行われている、

つまり、入社して間もない正社員は、仕事を見よう見まねで学ぶに過ぎない。

その時に仕事の本質にまで触れて指導してくれる先輩に出会えたら、その時には気づかなくても仕事を通じて気づく人生観が芽生えてくる。

一方で、良い先輩に出会うことができなければ、仕事のコツや稼ぎ方は学べても、人生観については深掘りすることができない。

こみちのように気づく人は、それこそ40代になってやっと「アレ?」と気づくのである。

少なくとも、介護士が70代や80代になった人の気持ちや心情に寄り添えなければ、介護してもそれは自身の考え方に過ぎない。

つまり、本当に望んでいる介護ではないこともある。

介護士として働いた時に、相手の望むことを受け止める気迫など持ち合わせていない。

1つには全ての介護士が同じように思考できはしないし、そもそも介護士になった理由も異なる。

つまりは人によって介護はオムツ交換と思っている人だっているだろう。

だからこそ、それ以上のことを考えても叶わないのである。

自身がそんな場所に身を置く限り、それ以上に到達することは難しい。

だからこそ、会社や業界を牽引する立場にある人が、どんな考えを持っているのか確認するべきだ。

こみち自身としては、人が介護することの大変さに気づくと、労働としては得られるものが少ないとも感じる。

それは、より最善のサービスを目指せないからだ。

いつも決められた仕事があって、そこに体力と精神力が削られてしまい、あと一歩の気持ちに届かない。

好きで学び、学んで仕事にすることができなければいいけれど、やりがいある仕事に行き着くことができたら、自身の人生を有意義にできるだろう。