自宅での暮らしが困難になったら
高齢者になり、病気や事故、ケガをきっかけにそれまでの日常生活が継続出来なくなることは多い。
若い世代であっても、本当に運命を決めるようなポイントで助けが無ければ、数年の遠回りなど珍しくない。
もっとも、中高年と呼ばれる年代まで生きて来て、実は遠回りなどという生き方は無くて、有意義な時間だと思えるかどうかで決まると思う。
高齢者が今までの日常生活が困難になった時に、マストと呼べる条件があるとするなら、思いやりのある人に恵まれるかだろう。
例えば、高額な有料老人ホームに入るだけの資金があるなら、教育の行き届いたスタッフに介護してもらえる可能性は高い。
しかし、人という生き物は不思議で、失礼のない接遇マナーだったとしても、瞬間的に「人としての冷たさ」を感じてしまうこともある。
つまり、周りにたくさんの人がいるのに、どこか彼らにとって「自分という存在」が意味を成していないように思えるのだ。
「迷惑ですか?」
「いえいえ。どうぞ、お寛ぎください」
望めば、すぐに応じてくれるけれど、どこか人の温もりを感じることができないことはどこにでもある。
施設選びというのが難しい理由は、施設の「温かさ」を数値化できないこと。
それこそ、自宅ならのんびりとくつろげた時間が、施設でも得られるかはパンフレットやネットの情報だけでは判断できない。
入院先の病院から
叔母に面会できない状況が続き、仮に退院となっても、どんな健康状態なのか今でも分からない。
一般病棟に移動したら面会できると説明を受けたが、その期日も未確定なままだ。
例えば、年内に退院が決定したと言われても、介護度さえ決まっていないのだから、入れる施設の種類も限られる。
経済的なセオリーなら老健に入所し、数年の待機を経て特養が理想だろう。
しかし、病院に施設探しの話を持ちかけたら、斡旋業者を通じて関東圏の有料老人ホームをいくつか紹介してくれた。
要介護1から入ることができ、月額基本料金は15万円前後。
一般的な施設といった規模と設備見えるが、介護スタッフの様子はまるで分からない。
ご飯が1日三回食べられて、風呂には週二回入ることができる。
簡単に言ってしまえば、それ以外は様子も分からないまま、施設を選ぶ流れになってしまう。
もう一つのルートは、地域包括支援センターからの返事待ちだ。
できるなら「老健」と伝えているが、こみち自身が勤務している施設の相談員に雑談すると、病院との調整もしてくれるだろうという。
そのためには、気になる施設をある程度見つけ出しておかないと、受け身のままではどうしても思ったような施設にはならない。
ただそれだって、叔母の様子が分からないと、施設の持ち味と合致しないこともある。
相変わらず両親は受け身のままだし、やっと自宅から近い方が良いと言い出した。
その方がいいのは分かるが、受け入れてくれなければ話は進まない。
施設に直接連絡をして、ざっくりでも入所可能かどうかを決めなければ病院とも調整ができない。
多分、肝心な介護度は来月になるだろうから、年末年始の慌しい状況でいろいろと決めなければいけなくなるだろう。