障害者総合支援法で考える「障害者」の意味

「 障害者」ってなんだろう?

中高年と呼ばれる年代まで社会で生きて来ると、様々な経験や大人の世界も見てきました。

一方で、介護の仕事に就き、65歳以上となった高齢者の中には、かつて「障害者」と呼ばれていた人も介護施設に入所されています。

以前にも触れたかも知れませんが、こみちの勤務している介護施設の中でもいくつかのグレードが設けられていて、実はもっと区分的に高額な利用料金が求められるエリアに配属されています。

具体的には、月額の請求額が15万円以上で、もちろん収入額によっては減算される制度もありますが、入所されている方々の経歴を見れば、かなりハイソであることも事実です。

そして、その中には知的障害者に該当する利用者がいて、学習レベルとしては小学校の内容でも厳しい方ですが、話してみると独特の感性とユーモアを持ち合わせていて、それは一般の人にはできないようなセンスでもあります。

学習レベル=飯に種と考えた時、何ができれば十分なのかは少し考えるべきでしょう。

例えば、抜群に絵が上手いとか、歌が上手い、楽器演奏やダンスに長けている人は、その道のプロとして活躍し、稼ぐことができるはずです。

その一方で、稼ぐことはできても、お金の管理ができないとか、時間に対する概念を持ち合わせていなければ、実社会で働くことには苦労もあるでしょう。

しかし、健常者と呼ばれる全ての人が、学習レベルが高く、金銭管理や時間への該当に長けているかというと、実はそうとも限りません。

社会や組織の効率を考えた時に、ここまでこなしておくと都合の良いと思える人なら、それこそ会社を立ち上げても立派にやっていけるはずです。

しかし、例えばこみちのようにあれこれと考えてみるものの、結局は考えるだけで行動できない人には「成功」も巡っては来ません。

実際、東大を出た全ての人が、他を圧倒するくらい稼いでいるとは限らずに、意外と自分の長所を疑わずに突き進んだ人に成功が待っていたりするのも、現代社会の特徴でしょう。

つまり、理路整然と話すこともスキルではありますが、「お金を稼ぐ」という意味では必ずしも必須な才能ではないのです。

それは学習レベルにも言えて、大学卒が高卒より「エライ」はけではなく、同様に「中卒」だから才能がないとは限りません。

では、何をもって「障害」と呼べはいいのでしょうか。

こみちなりに思うのは、例えば今の時代は資本主義に基づいて社会が成立しています。

お金や契約、債務といったワードを使って、我々の暮らしが成り立っていることになります。

だからこそ、「学歴」とか「キャリア」という経歴を高く評価する風潮が生まれたのでしょう。

100メートルを誰よりも速く走れた人には金メダルを用意し、その功績を讃えるという決め事が社会の流れを作り出します。

もしもその選手がとても朝寝坊だったとしても、そのことで「マイナス評価」にはなりません。

でも、速く走れない人は、社会の中で生きて行くために「朝寝坊」を克服するように言われます。

それはつまり、パソコンくらい使えた方がいいとか、日常英会話くらい当たり前だという価値観が、人の評価に使われやすいからでしょう。

抜群の才能があれば、「ヨシ、これで生きて行こう!」をわき目も振らずに突き進めるかもしれません。

しかし、才能は常に誰かと被るもので、別のもっと優れた人に出会うと才能だけで生きていくのは難しいことを悟ります。

つまり、「障害」というのは、「適応力の限界」ではないかと思います。

言うなれば、こみちという人間が「イラストレーターランキング」で、世界30億位だったとして、それでは到底プロにはなれないので、「介護士ランキング」に変えたとしましょう。

でもやはり世界ランキングとしては29億9980位で、どちらが優れているのかとても微妙に思えます。

しかし、イラストレーターとして仕事を得るよりも、介護士として働く方が簡単だとしたら、社会で生きるためには「介護士」を名乗るべきなのです。

つまり、「障害者=できない人」ではなく、生まれ持った才能に特化していて、それを変えることが不得手な存在ということではないかと思うのです。

実際、彼らのフィールドで話をすると、とても生き生きと目を輝かせてくれます。

そして、一般の人が言われやすい朝寝坊やパソコン操作のような類いを強制した時に適応が極端に困難で、それこそ才能のある無しが明確に分かれているのでしょう。

では社会は彼ら障害者に何をすればいいのでしょうか。

介護福祉士の受験対策で「障害者の理解」を復習している所ですが、そこでは「社会参加」のあり方を特に考えているように思います。

だからと言って「得意なことだけをしていればいい」とは限りません。

しかし、不得手なことを克服できないことが明らかなら、その部分を社会がサポートすればいいと考えたのです。

もっとも、話を戻せば、「障害」に該当する「適応力不足」についても、どんな範囲でどれくらいの困難さで、と様々な条件を設定しなければ社会のシステムとしては機能しません。

そこで、障害者総合支援法では、身体、知的、精神、難病他とその範囲を明記することで、社会としての役割を考えたのです。