「なぜ、認知症が進行するのか?」を現役介護士が本気で考えてみたら…

 認知症とは?

大脳において器質的原因により、知識が低下していく状態を言う。

確かに、認知症は脳に起こる障がいを発端とし、我々の日常生活に変化もたらす。

介護施設に於いても、利用者に現れる症状は日々変化し、ある工夫によって緩和していると感じたり、ある状況下ではより顕著になったりもする。

現役介護士「こみち」がイメージした認知症の世界観

「0」をスタートとした連続する数字、例えば「1」や「2」、が無限に続いていたとしよう。

人は経験を重ねて、「0」を「1」にし、または「3」まで飛び越えることもできる。

しかし、いきなり「10000」までジャンプしたらどうなるか。

万が一の奇跡により到達したとしても、きっと「9999」も「10001」も想像する力はないだろう。

一方で、「0」から「1」、「2」を飛ばして「3」だとしたら、場合によっては「2」を「1」や「3」の経験で穴埋めできるはずだ。

つまり、「能力」とは、どれだけ穴埋めによって経験していないことを想像力で補えるかだと思う。

とは言え、努力することで一歩ずつ進めば、それこそ「うさぎと亀」の話ではないが、高い「能力」を持った人にさも逆転を勝ち取取れるだろう。

この話をさらに掘り進めると、「環境」という概念も理解できる。

つまり、もしもある人が、何らかの理由で「10」までしか選ぶことができない状況だったら、どうなるだろうか。

きっと、「11」の存在が気になりつつも、「10」まで来たら、また「9」、「8」と逆戻りして、どこかでまた「10」まで戻ったりを繰り返す。

成長が頭打ちになっている。

それでも、想像力があれば、経験していない「11」や「12」についても知ることができる。

つまり能力によってカバーされるのだが、「15」を過ぎると流石に想像には無理がある。

そして、向上心がある人なら、事前に自身の能力を見極め、時に「5」「10」「15」とどれだけ間を空けてもブレないか分かるはずだ。

話の結論を理解するのが早い人は、このタイプが多い。

これ以上、間引いてしまうと漏れができることを分かっている。

その感覚を持って、必要なエリアでは細かく慎重に、またそれほど重要視されない部分では時に大胆になれる。

では認知症とはどういう状況なのか。

簡単に言えば、これまで経験した「5」や「30」など、覚えているはずの数字が脳障がいによって記憶から失われてしまうこと。

具体的には、まだご飯を食べていないと思ったり、無いと思い込み何度も買ってしまったりが起こる。

それこそ、昨日まで認識できた「ある数字」が、今日になると有るのか無いのかも分からなくてしまう。

完全に消去される場合と断分的に認識できなくなる場合がある。

症状として、数字を忘れてしまうこと、つまり認知症の進行を遅らせるには現状として薬に頼るしかない。

しかし、忘れた文字の周辺の記憶がたくさんあれば、忘れた数字に頼らなくても生活に困ることは減らせる。

例えば、「毎日、一人きりでテレビ番組ばかりを眺めて過ごしている」というような生活には、新たな数値との遭遇が起こらないだろう。

それでは、人としての成長に陰りが現れたのと同じこと。

つまり、現時点での理解として、認知症の進行は、新たな数字との巡り合わせが減少することで起こると思う。

しばらく介護士の仕事を休んだ後、久しぶりに施設に顔を出して利用者の表情や声を聞いた時に、利用者の様子が大きき変化したと感じることがある。

つまり、新しい数字との遭遇は1日に何度も必要で、数日くらいでも影響が顕著に現れる。

新たな数字を与えてらえる環境が作れれば、それだけ新たな刺激をうけとれる。

介護士の役割として、利用者にどれだけ「数字」との出会いを増やせるかがポイントになる。

つまり、好奇心や興味、感情の変化を意識した関わりが無いと、脳自体も段階と後退するのでは無いだろうか。