ふと朝方に目が覚めるクセ

 今でも不安を感じる

ノマドをしていた頃、仕事の自由度もあったし、一人でできる気楽さもあったし、カフェや公園、図書館など、いろんな場所で仕事をして、休憩がてら移動してまた仕事。

でも、朝方くらいになると急に目が覚めて、「どうしよう…」と不安な気持ちに包まれる。

前職の仕事を辞めることになった時、本当に自分がこれからどう生きていけばいいのか分からなくなった。

何もできない自分。何もしたくない自分。

どうするの?

何も思いつかないから、ハローワークに行き、離職届けを出したものの、就活カウンセリングでは今後の希望も伝えられない。

そして始めたのが、職業訓練という名の「猶予期間」。

こみちの場合は実務者研修だったので、半年の期間が得て学校に通い始めた。

久しぶりの座学でお尻が痛くもなったけれど、幅広い年代の仲間ができて、自分の居場所も見つかった。

規則正しい生活が、ふと目覚めても「不安な気持ち」に直結しない。

「今日もいつもの電車に乗らなきゃ」

そして予定時間までまた眠りに落ちる。

とは言え、その頃も介護の仕事が自分に合っているとは思わなかった。

半年して卒業したら、介護以外の仕事も考えよう。

しかし、猶予期間を終えても、こみちの中でこれからしたいと思えることなど見つからなかった。

今にして思えば、介護の学校を選んだこと。

ハローワークの相談員が、「介護でも始めたら?」と勧めてくれたこと。

「介護ですか? 自分にはできませんよ」と告げたのも覚えている。

結果的に、一歩を踏み出せたことで、現実が少しずつ進み始めた。

でもこの3年近くは、介護の仕事を得て、精神的に救われたのも事実だ。

もしもあの時に「無理です」と勧めをきっぱりと断っていたら、今はどうしていただろうか。

介護士になって思うのは、自分がつまずいて悩んだ経験をして、だから介護で利用者を思うことができた。

「トイレに行きたい」「またですか?」とはならないのだ。

勇気を出して気持ちを伝えることがどれだけ大変なことかも知っている。

もしも、「イヤです」と断られたら、こみちはもう自分から気持ちを伝えられなくなってしまうだろう。

それを嫌な顔もしないで、目的も意図も見つかっていない状況でも、向き合ってくれた相談員の方がいたから、今があった。

時には何も悩みなど無いと言った風に、強気な発言もしてしまうけれど、気持ちは周期的に揺れ動き、今日みたいに「どうしよう…」と理由もなく心細くなってしまう。

介護の仕事は身も心もくたくたになるくらい疲れるけれど、今の自分の居場所になっている。

行けば利用者たちが待っていてくれて、「こみち、こみち」と声を掛けてくれる。

自分にも居場所がある。

そんな風に思えるのも、これまでの流れがあったからこそだ。

きっと、今のこの瞬間にも、「どうしよう?」と悩んでいる人がいるはずだ。

一気にすべてが解決しなくても、一歩を踏み出せば解決の糸口になったりもする。

ダメならもう一度立ち止まり、別の方向に一歩を踏み出せばいい。

今朝も不安で目が覚めて、それでも自分には「介護の仕事」があると思えて少しだけ安心できたから、不満があっても救われるのだろう。

心の奥底の本音は誰にも分からないもの。

自分にだって分からないことがある。

でも、フラフラとしながらも、どうにか毎日を生きている。

仕事のことや家族のこと。自身の将来で悩むこともあるけれど、最後は一歩を踏み出すことでしか解決はしないから、大きな一歩でなくても「電話してみる」とか「自身の気持ち」を確かめるとか、できることから始めたらいいと思う。