親世代の「一家の大黒柱」主義はいつまで続けるべきか?

 親世代の男性に見られる特徴とは?

中高年のこみちにとって親世代とは、現在70代から90代の世代でしょうか。

確かにその頃の男性は、台所に立つという習慣が薄く、人によってはコップ一つ洗わないこともあります。

介護施設で働いている高齢の男性スタッフにも感じますが、利用者の使い終わったコップをキッチンのシンクに放置していきます。

かと言って洗ってもらうと、それが一つの仕事になってしまうので、他の仕事を残ったスタッフで抱えることになり、頼むべきか悩むことも少なくありません。

今、同居中の父もまたそんな世代で、せいぜい自分の使った茶碗やコップを洗っても、家族のものを洗うことはしません。

もしもお願いするなら、父のタイミングに合わせて食事を終えるなど、「洗っていただく」ための準備が必要になります。

こみち自身は、中学時代から自分の食事を作る習慣があって、上京して一人暮らしになってからはそれこそ家事全般をしてきたので、食器洗いに抵抗は感じません。

意外と今の若い世代も同じではないでしょうか。

男性だから、女性だから、という区別をすることなく、手が空いた人が食器洗いをしても不思議には感じないでしょう。

今日、日が暮れて母親が帰宅し、家で待っている父や自室で仕事をしているこみちに少し不満そうな雰囲気でした。

理由があるとするなら、「家にいるのだから、夕飯くらい作っていて欲しい」ということでしょう。

しかし、母親が父親に家事を頼むのは稀で、食器洗いですら頼もうとはしません。

なぜなら、今まで家事を任せっきりにしていた父親は、苦手意識があるでしょうし、面倒なことをとにかく嫌がります。

老化現象なのかもしれませんが、病院に行くなどの用事でもない限り、一日中テレビを観て過ごすことが増えました。

施設では特にデイサービスを利用している比較的介護度の低い高齢者が、男女問わずに施設内の周回コースを歩いている姿を知っているので、「少し運動したら?」と言うこともありますが、「うん、分かっている」とそっけない返事しか返ってきません。

生きる目的

こみちにすれば、父親がさらに老いた時に後悔して欲しくありませんが、今の生活が理想ならば、本当に老いるまで続けるのも自分らしい暮らし方だと受け止めています。

もちろん、介護施設に入れば、そんな選択肢は認められないでしょうし、一日中座ったままの生活に失望するかもしれません。

どうしてそんな支援になってしまうのかは別の機会にするとして、「生きる目的」を考えることはとても大変です。

結局は、自分が望むか、納得できるかということで、経済的に身体的に許されなければ、望まなくとも別の選択肢を選ぶしかありません。

その意味では、テレビを観て過ごすことができている父なので、それはそれでいいのでしょう。

一方で母親については、もう少し感情的になって父親に不満をぶちまけても良いと思います。

もしも夕飯を作ってくれたら」と感じていて、それをこみちが担うという選択なら、少し問題解決になっていないと感じます、

というのも、理想の姿があって、それに対して一歩も譲る気遣いがないまま、一方的に相手に求めるスタンスは、今、勤務している施設でも見られる特徴ですが、現場スタッフが全て被るしかないという解決策は継続的に行う方法ではありません。

時々、上司がコスト削減という言葉で問題を説明しますが、備品は一切揃えずに、作業だけは増えてしまう今の状況を受け入れてしまえば、いずれはブラック企業と同じやり方になるでしょう。

その意味では、母親がするべきは、父親やこみち、さらには嫁を前に、遅くなった時には誰かが作って欲しいと提案するべきです。

実は、介護の仕事が日勤や遅番の時にはこみちが朝食の準備をしています。

母親や父親は、こみちが起きてキッチンに立って30分とか1時間後に現れるというのが当たり前なのです。

率先して家にいる時は朝食後もそうですが、夕飯の食器洗いもしていますし、その意味では父親に何も強いてはいない状況に違和感すら感じます。

一家の大黒柱という尊敬も理解しますが、すでに定年となって仕事を持たない父親に、例えば食器洗いを任せるのは変でしょうか。

目玉焼きや簡単に作れる料理なら、特に包丁がうまく使えなくてもできるだけに、父親に新たな役割を持ってもらうという選択もあるはずです。

しかし、そんな話を母親にすると、「お父さんは、料理ができない!」と言って、そんな計画に賛同しません。

でもしたことがないということが理由ではなく、下手でも始めることがこれからの生き方になってくるはずです。

でも、ここでそんなことを言ってはいますが、こみちも父親を見て言えないことも分かります。

なぜなら、70年以上もそうやって生きて来たので、もう新たに変えることができず、今のままの生活を続けながら老いていくしかないからです。

三度三度ご飯を出してもらい、食べたらすぐにテレビの前に座り込む。

まだまだ活動的に動けそうですが、施設で頑張っている人たちを見ても、座ったまま動かない利用者もいるわけで、その点では座ったままの利用者と同じなのでしょう。

苦痛を感じてまで行きたくない。でも、今の暮らしを続けたい。

そのためには、家族の支えが必要で、こみちはそれもまた「介護」だと理解しています。