人生で大切なこと
中高年になって、なんだかんだと生き方を模索していますが、簡単に答えなどでません。
しかし、憧れる生き方を選んだ人と、残念ながらどこか真似たくない生き方の人には、明確な「差」があります。
例えば家柄。
例えば、最終学歴。
例えば、社会的な地位。
それら以外にも、大切だと言われていることはありますが、それら以上にマストだと思うことに気付きました。
それが「覚悟する強さ」です。
「覚悟する強さ」とは何か?
こみちが、人を信用する時に必ず確認することは「逆境になった時の態度」です。
誰でも調子がいい時には機嫌も良くて、とても魅力的に見えます。
しかし、少しでも分が悪くなった時にその人の「人柄」は現れます。
これまでにも、「お願いだから誰にも言わないで!」と懇願され、ある人の醜態を今でもずっと他言していません。
社会的な制裁に関わることではなく、人としての評価が関わる行動だったからです。
いけないことや許されないことをして、でもそれを無かったことにしてしまう人は、当然ですが「覚悟する強さ」は持ち合わせていません。
つまり、誰かによって矯正されなければ、人として全うに生きられないタイプの人間です。
そこまで行かなくても、仲間や客が不利や不幸になるとわかりながら、自身のために保身してしまう人も、程度こそ異なりますが、窮地になっても覚悟できないタイプでしょう。
確かにそんなことを話すこみちだって「ちっぽけな人間」で、小心者で緊張して膝がガクガクと震えてしまいます。
例えば、介護士として働いていると、利用者が急変し、呼吸が止まってしまうことはあり得る話です。
そんな時に、誰よりも率先して救命処置を行えとは思っていません。
しかし、もがき苦しんでいる利用者を、見過ごして立ち去るような人間にはなって欲しくないのです。
つまり、その状況で助けることができるのは、「あなた」しかいない時には、せめて誰かに助けるを求めるとか、救急車を呼ぶという行動は行なって欲しいのです。
もっと言えば、自身ではないけれど、同僚や後輩がミスをして、顧客にとって不満を感じているなら、責任の所在を詮索する前に先ずは「すいませんでした」と謝って欲しいのです。
「自分のミスではないのに?」
と思う人もいるでしょう。
少なくとも30代くらいになって、部下を持つ立場になると、むしろ他人のミスも自分のミスと同じになります。
「責任を取りたくない」だから、出世もしたくないと思っている人がいます。
しかし、今の上司はそんなあなたのことを守る立場います。
もしもあなたが責任を取りたくないというのなら、それこそ部下ではなく個人事業主にでもなって自身の責任だけは全うに守る立場になるべきです。
というのも、誰かに責任を負わせて、でも自分は責任を負いたくないという図式は、先に紹介した「覚悟できない人」と同じだからです。
ある利用者が心不全で亡くなりました。
寿命だったと言えばそうかもしれません。
救命処置を行なっていたら、意識を取り戻すことができたかもしれません。
しかし、もう同じ場面は戻ってきませんし、「なぜ(呼吸停止に)気づいてあげられなかったのか」という無念さは一生消えることはないでしょう。
見て見ぬふりをしたスタッフがいたなら、今どんな風に思っているでしょうか。
きっと、こみちのように「後悔」などしていないでしょう。
もしかするとそんなことさえ記憶に無いかもしれません。
しかし、そんな風に聞くと、そのスタッフだけが悪いように思えます。
ところが世の中には同じようなことはたくさんあって、例えば信号が赤になりそうだと分かっていて、無理と知っていて交差点に侵入した経験はないでしょうか。
交差点の角にある駐車場を跨いで、信号待ちを回避したことはないでしょうか。
時間がなかったとか、急いでいた。安全な状況だった。
正当化する理由はいろいろあります。
しかし事故が起こってしまえば、すべて言い訳になってしまいますし、後悔しかありません。
物損で済めば、弁償で解決できるかもしれませんが、負傷者でも出てしまえば、本当に消せない「後悔」を背負います。
中高年になって、確かに若い頃よりも慎重になりました。
それは反応速度が低下したことも影響していますが、「後悔」を背負うことの重大さもひしひしと感じるからです。
中高年になると、あと30年もすれば自身だけで生活できないかもしれません。
それこそオムツを変えてもらうことになるかもしれません。
「こみちさん、オムツ交換しましょ!」と優しく言ってくれる介護士ばかりではないでしょう。
なぜなら、まだ若いスタッフは、本当に「老いる覚悟」など知らないからです。
こみちが利用者にできる限り優しい言葉を使うのは、その「気遣い」を老いた人ほど切実に感じていると思うからです。
「なぜ老いてまで生きているのか?」
そこに疑問を感じたら、それこそ老後はとても不幸な時間になります。
しかし、少しでも楽しく生きることができれば、いつか来るであろう「お迎え」も納得して受け入れられるかもしれません。
高齢者介護に携わり、例外なく利用者はそんな気遣いの介護を拒んだりしません。
むしろ、そんな日々を過ごしたいと思っているはずです。
老いたからではなく、人はどんな年代でもそうではないかと思うのです。
確かに若い頃は自身で何でもできるので、周りから口出しされて嬉しくはないでしょう。
しかし、生きるためには社会と交わり、その時に「生きるため」と覚悟して、働ける人は強い人です。
子育てや家族を養う覚悟をすると、それができる人もたくさんいます。
夜、仕事をしていたこみちの母親から聞いたのは、深夜に帰宅してこみちの心臓が動いているかをいつも確かめていたそうです。
それを聞いて「どれだけ自分が大切に育ててられたのか?」と思いました。
怖い時に動けなくなるのも人
頭ではわかっていても、身体が強張って動けなくなる時はあります。
こみちが中学生だった頃、繁華街で親友が不良グループに絡まれました。
他にも友人がいたのですが、気づいた時にはこみちとその親友の二人になっていて、腕を掴まれた親友が人気のないところに連れて行かれます。
こみちは立ち去ることもできませんし、助けることもできませんでした。
恥ずかしい話ですが、腰が抜けそうなくらい怖かったのです。
でも、どうにか親友たちについて行き、差し出すことでケガすることなく不良グループは立ち去りました。
予定していた買い物はできなくなってしまいましたが、「お金」の使い方を学ぶことができました。
それでいいと思うのです。
むしろ、親友を見捨てなかったことで悔いもありませんし、少しほろ苦い思い出話です。
ことが終わり、その場に座り込み、二人で泣いたと記憶しています。
とは言え、都会に出てから、こみちもずいぶんと変わってしまいました。
危険なところには近づきませんし、イラッとしても我慢してしまうことが増えました。
それは、「覚悟できない人」になっているとも言えますが、大人になってしまったとも言えます。
大人になると、覚悟する気力も失われ、時に身勝手な解釈を持ち出します。
中高年になって就活すると、時々切ない経験をしますが、その根底には大人になった人から受ける言われない言葉が大半です。
「本当にそんな言葉が必要だったのか?」と問いただせば、きっと別の言い方はあったはずです。
しかし、日頃のストレスや立場の違いに身を任せて、言うべきではない言葉を使ってしまうのです。
でもそうなってしまう原因も切ないもので、それだけ先の無さが人を大人にしてしまうのでしょう。
だからこそ、こみちとしては生涯働ける仕事を持ち、できる限り自分らしく生きることを理想としています。
そのためには、「覚悟する気力」が欠かせません。
何より、肝心な時にはー人にも自分にも優しい人間でいたいものです。