理想的な暮らしとは?
今日は、介護士ではない方の仕事をしている。
介護士としている時に感じるストレスはなく、作業に集中できるのが嬉しい。
自分のペースでできることが、どれだけ幸せなのか感じられる。
では介護士の仕事が不幸せなのかということではない。
思ったのは、「利用者の気持ち」の方だ。
「トイレに行く」「飲みものを飲みたい」「オヤツを食べたい」「風呂に入りたい」「少し横になりたい」
そのどれもが施設に入ると制限の対象とされる。
簡単に言ってしまえば、まだ大半のことができるなら、在宅や高齢者向け住宅を選択するべきだ。
理由は、自分の自由が保たれるから。
特養ホームに入る利用者は、要介護3以上なので、車椅子を使うことが多い人になる。
では歩けないけれど、思考力は保たれているような利用者が、施設に入るとどうなるか。
ポイントは、施設の運営スタイルにある。
はっきり言ってしまえば、理想的な介護サービスがあるなら、大半の施設は過保護だったり、放任主義だったりで、なかなかいい塩梅とはいかない。
あれこれを世話焼きスタッフ過ぎても煩わしいし、あまりに放置されてしまっても不安を感じる。
自分が思う「こみち」他人が思っている「こみち」の違い
きっと、この文章を読んで、読者の方々は「こみち」とはどんな人物だと想像するだろうか。
痩せている?太っている?楽天的?神経質?
こみち自身が思う「こみち」は、それぞれが含まれていてる。
スガシカオの「プログレス」という曲の歌詞に、「歩いてきた日々と道のりが“ジブン”という」とあるが、本当にそうだと思う。
自分なりには思うところもあるのだろうが、社会に出て働いていると、自ずと自身のポジションというものがある。
こみちは、圧倒的に対面の方が友好的に思われるし、自身が思う以上に気を使われる存在だ。
隅っこでいるつもりでも、もっと輪の中心部にいて、周囲の人が手を貸してくれる。
頼り甲斐があるタイプではなく、環境に溶け込んでしまう大道具や小道具のような存在だ。
もしもそんなこみちが、「オレについて来い!!」と周囲に問い掛けたら、きっと「ハ〜イ!」と面白がってついて来るか、「ええ何?」と真顔で質問されるかだろう。
決して、「こみちさん、何かあったですか?」などと心配して人がついて来るとは思えない。
妻に言わせれば、こみちは俗にいう「天然」らしい。
これも言われる話だが、どこがどう「天然」なのかこみちには分からない。
だからこそ、こみちが真面目にあれこれと語っていても、ブログなら記事になるが、実際には話の内容以前に「こみち、何かあったの?」ということになるだろう。
これでもサラリーマン時代には部下もいたし、学生時代にもクラスのまとめ役を買って出たこともある。
でも、確かに信頼されて選ばれたというよりも、「こみちでいいんじゃないの?」的な感覚だろう。
活かし方を間違えないこと
こみちが強がってしまうと、いい結果にはならない。
医師や弁護士のような立場で、最後の砦のような存在には適していない。
精密で寸分の狂いもないような、技能者も違う。
営業マン時代、こみちの肩書きは「ディレクター」という小洒落たものだった。
ただ実際は、製作現場の調整人で、様々なセクションの間に入って、頭をさげるのが主な仕事だ。
「こみち、それじゃ時間が足りないよ!」
「こみちが来るとろくなことがない」
「また変更なの?」
いつも、顔を出すと嫌がれ、頭を下げてお願いし、どうにか渋々納得してもらう。
もともとは製作現場のスタッフだったが、その期間はとても短く、早々に「ディレクター」に指名された。
製作スタッフは、正確で精密な仕事ぶりが求められる。
でもそんな資質は、こみちに微塵も存在しない。
だからこそ、上司はこみちの資質を見抜き、営業マンに回したのだろう。
飛び込み営業が苦手な人も少なくないが、こみち自身はできないと思っていたが、それよりも数倍、向いていることが分かる。
営業トップの人を「凄いなぁ」と思って見ていて、「どうしているですか?」と営業方法を尋ねたら、翌々月くらいにはその人のいいライバルになっていたりする。
実は、営業マンとは何かを語っていても、それはほとんど役には立たず、でもこみち自身は頭で考えていた時にはできなくて、実際に始めて見て調子が良くなって来る。
つまり、あまり考え過ぎないで、肩の力を抜いて、気楽にしている方がいいみたいだ。