こみちが「介護士に向いている」と言われた要因

 「介護士に向いている」って!?

一般的に、介護士に向いている人とは、相手に合わせた対応ができる人だそうです。

言葉づかいなどの接遇マナーをあげることもありますが、それは「一般的」なもので、もっと原点に近い部分では「相手に合わせられる」ということでしょう。

「相手に合わせられる」とはどのような状況を言うのでしょうか。

これについても、「一般的」には状況に応じた効率的な言動となりますが、もっと原点に関して言えば「状況から“次“を想像する」ことです。

こみちにとっては当たり前だったこと

ここ数ヶ月前から気づいていたことですが、こみちが勤務していない日に利用者が介護士の支援を拒むケースが頻繁に起こっています。

居室を訪ねたけれど、「退室を求めらた」というようなものです。

ターミナルケア中、食事の摂取が減少している利用者が、声掛けしても明確な反応が見られないなども聞きます。

また、利用者が話す頻度や覚醒することも居る時といない時では違うそうです。

こみちはどうしているか?

実際には、特別に何かしている意識はありません。

いつも誰かに接する時に当たり前にしていることを介護士の時も行っています。

ただ、個人的な理由で、ものが2つあったら「良いと思う方を相手にあげる」とか、年齢性別を問わず「公平である」べきとか、昔から身についてしまった習慣があります。

それは、育った家庭環境もあって、母親や兄弟がそうしてくれたことを知っているので、こみちも他人に対しては同じようにしたいと思うのです。

「愛」とは何か?

こみちが「愛」を本気で語るつもりはありません。

しかし、子どもの頃にしっかりと親の愛情に触れて育つことができれば、それだけ人を愛せる人になると思います。

また、実際に十分な愛情を受けなくても、読者や教育を通じて想像し、自ら行動することができるでしょう。

今、勤務している施設で同じ職場の人たちを見て、少し残念に感じるのは、「愛情」に触れていないのかもしれないこと。

相手から愛されたと感じたら、初めて動き出せるというタイプが多いのです。

「利用者が笑ってくれるから、もっと優しくする」という行動をよく見かけますが、認知症と診断された利用者の方が素直に優しさを伝えてくれます。

つまり、「人柄」とか「性格」のような部分は、年齢や心身状態とは関係が薄く、むしろ人によっては「当たり前」が多かったりします。

なぜ、ポンコツこみちがこんなことを言うのか?

以前から、介護士の仕事についていろんな気持ちでいろんなことを書き綴ってきました。

その間でも、「なぜ?」と職場のスタッフに感じている違和感が拭えなかったこともあります。

しかし、家で妻に仕事の話をしていて「こみちが介護士に向いているからでしょう?」と言われたのです。

本気でこみち自身は「介護士の仕事が嫌い」ですし、「向いている」と思ったことがありません。

職場でもそうですが、まさか妻に言われるとは思いませんでした。

その時に人がなぜに「向いている」と言うのか考えてみたのです。

「当たり前」に思っているからこそ、それをベースに話していた。

でも実際はその「当たり前」が「当たり前ではない」ことに気づくべきだったのです。

「〇〇して〇〇したら、良い結果になるのに…」

これまでの経験から、そう疑わないこみちの信念ですが、どう説明しても一向に伝わりませんでした。

特に、そうではないと思う方向に進むことが多く、そして状況を悪化させていると感じます。

もしもこの投稿を読んだ人で、共感してくれる人がいたら嬉しいです。

でも、「当たり前」の意識は誤解を含んでいます。

「何度言っても伝わらない!」

そりゃそうです。受け手の立場が自分と同じではないので。

そして、そんな風に考える癖が、介護士に向いていると言われる理由なのだとも分かりました。